妻には迷惑をかけている。

精神的にも、物理的にも。

しかし、本日ほど迷惑をかけたことはない。

自分は配偶者であることが後ろめたい。

もしも妻から分かれてほしいと言われたら、

有無を言わず快諾しよう。

このまま続けるのが正解とは限らない。

わかれたほうが相手にとって幸せなら。

子供たちももうすぐ成人する、私も子離れしてよい時期だと思う。

もう会えなくなっても、どこかで覚えていてくれればそれでよい。

お互い生きていればなんとかなる。

遠くから思いやることをいつも忘れなければ。

大事なのは結果だ。

金曜日、頭が急に痛くなり、電車でしゃがんでしまいました。
こんな痛みはかつてなかった。
昨日、検査してもらった。
明後日結果かてる。
よりによって、仕事がたまっているときに、、
と思ったが神のくれた休息だろうか、
そういうことにしよう。
しばらく朝ジョギングはお休みしよう

私にとって、1979年は思い入れの深い年であった。

いや、それよりも翌年の1980年がめちゃくちゃだったから、よけいに1979年が恋しかった。

当時10歳の私は、今っていいな、とかは思わなかった。

しかし1980年になって、状況が激変し、まるで悪夢のような生活を強いられた。

詳しく言うと、ちょい都会からへき地の離島に転校したのだ。

まわりはがっちりした男子と、男勝りの女子がそろい、

腕っぷしの強い人間順に序列ができる。

私はちょい都会に育ったため、木登りの仕方もしらず、

殴り合いのけんかの経験もない。

体育では常に最低のレベル。からだつきも華奢なほうだった

下手をすると女子と間違われるほどの様態だった。

そんな中でいじめの洗礼をうけた、

1979年に帰りたい、いや正確にいうと、出身地に帰りたい、であった

70年代に活躍したスターも相次いでテレビから消え、

ひろみとジュリーは残ったが、

秀樹、百恵、ツイスト、ゴダイゴは遠ざかった

石野真子さんは引退、暗い曲が流行りだし、

なにかTVまで暗くなった気がした

1979年が私の生き生きとした人生の最後の年だったように思えた。

*2年後の1982年、生きる価値がないと判断し、自ら命を絶とうとした

そんなわけでこの年が格別思い入れがある。

実際にもこの年までは国民に夢がまだ残っていたと聞く。

デジタル化という黒船がその直後に押し寄せてはじわじわと現実に直面mだったのでしょうか