本日は杉田劇場にて第48回ジュニアギターコンクールを観戦した。
個人的には、小学校高学年、中学生の演奏レベルがジュニアとは思えないくらい成熟した感があり、鳥肌の立つよう演奏をする子もいた。
私は、三年前からこのてのコンクールにはすっかり衝撃をうけ、常連になった。魅力は何と言っても彼らの内面から涌き出てくるようなエネルギーが音楽を通して伝わってくる点だ。
コンクールは勝敗を競うため、コンサートとはまた別の強烈なものが感じられる。加えて、彼らからは知性も感じられる。おそらく幼い頃からしっかりとしつけられ、教養も積んで来ている。
昨年、ある歴代入賞者のコンサートトークを聞いたことがあるが、その教養の高さにとても驚いた。その人は大沢水月さんと行って、故人大沢一仁さん(スペインギター教会会長)の娘さんである。そのままアナウンサーなどの知性と教養が求められる仕事も十分こなれるのではないかとさえ思った。彼らもそれに近い資質を将来形成すると想像する。また、その資質の形成には、本人の努力や資質もあるが、それ以上に家庭の環境が極めて強かったであろうと考える。ふと次男のことを考える。もしかしたら次男をあのままギター教室に通わせたら良いところまで成長できたかも知れないが、妻の強い反対に反論できず、機会を作ってあげられなかった。育児はほぼ妻に丸投げだった。私は我が子を叱ることも十分出来てなかった。
ジュニアギタリストたちの輝きは一面で親の愛情と情熱の賜と言っては言い過ぎだろうか(例外もあろうが)。彼らの保護者に深くリスペクトすると同時に自らの育児をふり返り 、悉く現実と向き合わずその場しのぎで 無難に過ごしてきた自分の弱さを思い 知る。
子育て期は、もう戻らない。
その事実が、今日の演奏の輝きの向こう側から、静かに胸に迫ってくる。。
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数々の願望実現セミナーに触れてきて、気が付いたことがあります。
それは、セミナーそのものに過度な期待を寄せるのは危険だということです。
セミナーは、あくまで自分を見直すきっかけにすぎません。そこで得た気づきや、コミュニティから学んだ知見を、自分の生活や行動に落とし込んで初めて意味があるのだと思います。
行動が伴わなければ、「自己改善したような感覚」だけで終わってしまいます。
もちろん、これは学習塾などにも通じる話かもしれません。ただ、能力開発セミナーの場合は、成果が出ない理由が「個人差」という言葉であいまいにされがちな気がします。
「いつか自分もきっと変われる」
そう思って待っていても、何も変わりません。その「いつか」は、こちらから動かない限り、永久に来ないのだと思います。
では、自分を変えたいという願望は、どこから生まれるのでしょうか。
どうすれば、自分を変えようという思いは強くなるのでしょうか。
私の経験では、まず「好きなこと」を探すのが一番だと思います。
ただし、ここで言う好きなこととは、一時的な快楽ではありません。持続的な幸福感を味わえるものです。
持続的な幸福感とは、自分が成長していることを楽しい、うれしいと思える感覚です。
考えているだけでは、なかなか見つかりません。結局は、行動してみるしかないのだと思います。
自分が本当に好きなものを自覚できれば、生活も少しずつ整っていくのではないでしょうか。
そしてその延長に、知力や体力、対人関係の改善もあるのではないかと思います。
願望の芽が育っていないところに、いくら肥料をまいても空振りに終わる。
自己変革とは、外から与えられるものではなく、自分の内側にある「育つもの」を見つけることから始まるのかもしれません。
父は書道家だった。
今年89歳になった。
今は施設で生活し、半分認知が入ってしまい、この先危ぶまれる。
このまま自然に任せるのがよいのか、、とふと投げやりな気持ちにもなる。
そんな自分にやや冷酷さを時々思う。
そんなとき、父の書いた一つの作品を思い出した
「負けてたまるか」
2017年の作品だ。
父は書道家だった、しかし、それだけでは生計が成り立たず、
高校の国語教員を定年まで勤め、退職後も大学で特別講師をするなど、
晩年までよく働いた。
そんな父を毛嫌いした中学時代の自分に未熟さと残酷さを覚える。

