本日(金曜日ですが)、またカトリックのミサに行きました。

おごそかにみ言葉をとなえ、典礼をとなえ、主の祈りで〆る。

さわやかな週末を迎えることができました。

 

ベトナムからお越しの神父さんと、また婦人会で奉仕されている方ともお話ができました。

宗教は囲まれるとか、勧誘されるとかのイメージ強いですが、

カトリックに関しては自発的に動いてなんぼの世界です。

ですから信仰への導きが行動へと現れるのです。

マイペースで信仰生活を送れるのはとてもありがたいですね。

 

不思議なことに、聖書に触れた日というのは、

怒りをあまり感じません、

むさぼりの勢いが落ちます、

何かを施したい気持ちが高ぶります、

結果、残業が増えたり、睡眠が短くなりますが、

それでも何か満たされた気持ちになるのです。

                            

使徒パウロの言葉(コリントの手紙より)

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。

今週末もおだやかに過ごせますように、、

最近、多色ペンの有効性がよく説かれる。

私も1年使ってみた。

至極便利な面と、不便な面がある。

 

便利な面

 ・赤ペンを持ち歩かなくていい

 ・気分により、青や緑も使える(しかしほとんどは黒)

 

不便な点

 ・インクの持ちが悪く、常にストックが必要

 ・お世辞にも書きやすいとは思えない

 (ペン先がすぐだめになるようなものも多い)

 ・かさばる

 ・見た目がイケてない

 

というのが私の感想。

個人的には2勝4敗で、多色ペンは、単色ペンに比べ、

マイナスのほうが多かった

 

ようはペンの形状云々の話ではなく、

色分けを上手にしましょう、ということです。

赤が必要なら気に入った赤ペンを持ち歩けばいいだけです。

 

多色ペンをついこなせなかった者の独り言でした。

近所のカトリック教会が以前から気になっていたので、

ミサに行きました。

昔、教会生活は送っていました。

1990年代の半分はそうでした。

しかし、プロテスタント派であり、聖書をよりどころとし、

信者同士の親睦や、伝道に力を入れる、というアグレッシブな教会でした。

(日本では珍しいかも??)

それはよい経験でした。

しかしながら、イエスの犠牲の死とは何か、罪の許しとはなにか、

なぜイエスが私たちの罪のために十字架にかけられたのか、説明ができません。

私たちというのはリアル感に欠けます。

人類、でよいと思います。

そして社会に多大なる思想を広めた、それがイエスであると理解してます。

本音を言いますと、日常と教会はぱっくりと別れていました。

教会はリフレッシュするところでした。

行きたくない時は終わった時にほっとしました。

でもこの忍耐が後々に糧になるのだと信じて。。

しかしながら先日のミサではその思いを吹き飛ばすものを感じました。

それが、マリア様の像でますます強められました。

自律的に信仰を持つのは難しいです。

しかも日本の地で、自然宗教である仏教にどっぷりつかっている私たちが

一神教など受け入れるのは現実的ではありません。と考えます。

ただ、マリア像やステンドグラスや、人類の被造物が持つ力は強力だと思います。

これを否定するのには強い抵抗感があります。

芸術を否定するのと同じではないか、そう考えることもあります。

古巣を批判するようでもありますが、受け入れがたいものはやはりありました。

結論として、今後神様を信仰するならカトリックの門をたたくと思います。

まずはゆくうりと温めて

合掌、アーメン、、