◆「南」の高校生の資質
「ミナミ」と「南」の違いを漫才風な説明から始まって、コミカルな芝居なのか普段の日常の情景なのかが出てきて、個々に抱える問題に展開してゆく。
あの漫才風の前説みたいなのに「こら大阪の子にしかできひんわ~」なんて観てたら、続くコミカルな芝居に「そら土曜の昼に焼そば食いながら新喜劇見て育ってるんやもん!ズルいわ~。」てな具合。
笑わせつつ上手い具合にシリアスな話題に引きずり込むのはこの土地で育った資質なのかもしれない。
最初に一人でお話しをした女の子の目力とその説得力に吸い込まれて本題の芝居に夢中になってく...。
個々に抱える問題があって、(たぶん)彼らの日常と、(たぶん)芝居のはざまを浮遊してたら彼らの術中に嵌まり芝居に吸い込まれてることにすら気付かない不思議。
これ...、高校生がやっていいの?
いや、高校生だからできるのか?
ん?どっち?
観てるうちに「高校生」っていう冠詞が無くなってて、個々に抱える問題と正面から向かい合って苦悩し、前を向かんとする大阪の若者にしか見えてこなくなる。
彼らは演劇が好きなんだろうな~、楽しいんだろうな~...って感じ。
この脚本を、東京版にして東京の私立高校がやったらどうなるんだろう...、と考えてみたりもする。
堅苦しくて不寛容的な(イメージがある)東京の父兄は黙ってなくて、顧問の先生に怒鳴り込んでくるかも...。
なんて苦笑いしながら思い浮かべてしまった。
大阪の南の高校生には、大阪の南の寛容な親がいるのかもしれない。
◆彼らの魅力と真髄
「上手い」とか「凄い」とか「素晴らしい」とか、そんな形容詞がどうもしっくりこない。
何だろう?
余韻が何かに似てるな~と思いながら考えてたら、あった。
同じ野球でも高校野球でしか味わえないような、あの感覚。
気付いたら夢中で観てて手に汗を握ってるやつ。
理屈抜きに心に響いたし、元気が出た。
そう、彼らの演劇は形容詞じゃなくて動詞で表現するものだと。
今の3年生が卒業しても彼らが東京に来る機会があったらまた観に行こう。