昨日の続き記事ですが“星”がついただけで恐れ多いお店になる、今さらながらのミシュランガイド。
東京と京都・大阪が発売された当初、彼らの術中にハマって買ってしまいました。
実際の調査方法はつまびらかにされていませんが、wikiをチラ見する限り『ほんまかいな~』と言いたくなる調査方法です。
なにやら日本各地を総勢6~7名(内日本人2~3名)のタイヤ屋の社員である調査員が、当時の東京版なら1500件ものお店をほんの数ヵ月で一日2~3件のペースでぱとろ~るし、絞られた段階で欧州から十数名の援軍が駆けつけ更に二次調査とな。
日本だからって身体に優しい日本料理だけではなく、フレンチや中国料理を食べるわけですから、きっと夢と希望がいっぱい詰まったお腹をされている方々に違いありません。
語り尽くされた話題でしょうがこのミシュランガイド、日本料理を除いた料理店だけにしてはどうでしょう。
当時マスコミが『フランス人に日本料理の味が解るのか!?』と、やや批判的なコメントをしていたのを思い出します。
ミシュランは『日本人調査員もいるから大丈夫』なんて国会答弁以下のピンボケなコメントしていて失笑したのも思い出しました。
僕の意図は同じ様な事ですがちょっとだけ違うんです。
ミシュランガイドって皿の上の料理だけを評価してそれを3つの星で色分けするそうな。
ちゃんちゃらおかしい。
昨夜も書いたけど1貫2千円出せば心で美味しいと思えるかは別として、口の中だけは美味しくなれる時代です。
隣にタバコを吹かして偉そうに命令口調で店員に話しているおっさんがいてもいいの?、隣の同伴出勤のお姉さんが物凄い香水しててつけ台の寿司を放置して喋っててもいいの?
と言われても仕方がない。
店が客を選べるなら別として、極一部を除いて難しいでしょう。
日本料理ってのは、玄関に打ち水がしてあって心穏やかなり、玄関で女将の丁寧でありながら気のきいた挨拶があって、部屋に通されると畳のいい匂いがして、床の間に季節の花があり掛軸がかかっていて、窓の外には手入れの行き届いた庭がある。。。
出された季節の料理毎に見事な器で供されて女将は掛軸やお皿のお話もしてくれる。。。
そんな食事はほんの1回くらいしかしたことありませんが、まさに夢見心地でしたよ。
ミシュラン上陸前に星を獲得したフレンチレストランで食事をした時は…
皿だの設えだのなんてあまり気にならなかったし、ゴチだったので『高そうやな~』と思うだけでした。
確かにめちゃめちゃ美味しかったけど。
日本料理にはきっと西洋料理以上に四季とテーマがあって、季節によって扱う食材も、皿も、生花も、掛軸も…全部が違う。
もし、日本料理店に掲載する・しないの判別をするならば季節毎に1回ずつ、最低でも年に4回通ってから語って頂きたい。
それからもう一つ。
店にランクをつけるのはやめていただきたい。
ミシュランガイドに載っている星1つと2つ、2つと3つのどこがどう違うのかと。
数値化できないものを無理矢理数値化して、上下をつけるのは如何なものでしょう。
『とても美味しいお店でした』
で掲載するだけじゃダメなの?
文化や伝統を無視して「旨い・旨くない」、しかも「こっちよりあっちの方が旨い」と言うのはどうも日本人気質に合わないような気がします。
ゆえに京都では15件ものお店に掲載を拒否され、なんだかミシュランガイドの威厳が下がってしまったと。
あれは失敗だったね。
一見さんお断りシステム。
批判や善し悪しはありますが、京都の一部の料理屋は客を選んでます。
祇園の飲み屋にも普通にあります。
紹介制で、紹介者と来店して女将から名刺をいただければ『また、おこしやす~』のサイン。
失態やらなんやらをすると元の紹介者が恥をかきく仕組み。
店を守るシステムなんだと。
そんなシステムなんて極一部なんですから、とりあえず皿の上だけなんて言ってないでもっと通ってお店の善し悪しを知って決めてはどうでしょう。
僕ならこんな本より、夢酔亭さん始めいつも読んでいる食べ歩きブログを迷わず参考にしますよ。
ああ、今日は過激になってしまった。。。
批判コメントは削除します(笑)