どうせ同じお金を払うなら“より美味しい物が食べたい”と思うのは至極当然のこと。

グルメ雑誌やテレビによく出てくる高級な寿司屋、天ぷら屋、焼肉屋ってよく考えたら美味しくて当たり前。
トロの握りを一貫2千円、才巻海老を2本で3千円、カルビを一皿4千円で食べて美味しくなかったら逆に怒ってしまう。
でもお金を出しさえすれば美味しい物にありつけるかというと、あながちそうでもない。
どうやら「美味しい店」と「良い店」は比例しないようだ。
食事をしていて「美味しい」と感じられるのは、一緒に食事してる人、会話、店の雰囲気、お店の人の接客や会話に大きく左右されると思っている。
一人一万円も出せば店の設え、食材、器…、みんな素晴らしいに決まっている。
それでもカウンターで隣に座ったオッサンが店の人に命令口調でエラそうなこと言ってたり、猛烈に香水つけた同伴出勤のお姉さんがつけ台の寿司を10分も放置して喋っていたりするとげんなりする。
客だけではない、あまりにも無愛想で感じ悪い職人がカウンターの向こうにいても半減どころか美味しくなくなってしまう。
以前ネットで調べた地元の「美味しいお寿司屋」に行ったら、カウンターの奥にテレビが置いてあって、あろうことか巨人戦のナイター中継を見ながら主人がタバコ吹かしていた。
店には入ると彼は巨人の選手の凡退を確認してから何も言わずに面倒臭そうに立ち上がったのだ。
もう、コレ最悪。
もちろん「間違えましたぁ~」って慌てて出てきた。

(本当かどうかは定かではないが)ミシュランみたいに皿の上の物の味だけで旨い旨くないを判別するなら別だけど、そういったお店の空気感や客層やお店の人の対応ってサイトや雑誌やテレビでは教えてくれないし、それが自分に合うかも解らない。
(※ミシュランについては言いたいことが山ほどあるのでまたいつか)
これは、温泉旅館も一緒かもしれない。
以前は本やネットで温泉旅館を探して行ってたけど、
「マジで・・・ココ!?違うって言って!お願い!」
ってとこが何回かあった。
建物や部屋や料理の写真ってどうにでも撮れるし、言い方が悪いけど「騙された・・・」って思ってしまう事が過去に続いたのがトラウマのもと。
僕はこう呼んでいる。
「またる○ぶに騙された温泉旅館がっかり症候群」
妙な利害関係や誰とも解らない人の価値観を強要される、グルメ・温泉・旅行本はもう信じないって心に決めたのだ。
あくまでも参考にするだけ。

美味しい店をみつけること
それは自分の勘と感性と運を信じ、きるだけ安くて心地よく、美味しく食事のできる良い店を自力で探さねばならないのだ。
※文と写真は全く関係ありません