18~25歳の間に吸収した価値観やこだわりの多くはいまだにほとんど変わってなくて、今の僕にはとても大切な期間だった。
というわけで日経新聞の“私の履歴書”ではないけど、そんなような記事を不定期で始めてみようと思い立った。
たぶん新聞同様読む人にはつまらない内容になるけど、なんだか人生も一段落して一通りやり尽くした感もあるし、これから先劇的な変化も無さそうな今、ここまでの僕を形成した出来事やきっかけを忘れないうち、忘れられないうちに残しておこうというわけ。
『趣味は音楽を聞くこと』と言い、聴かないジャンルは今のアイドル物とK-POPくらいで、色んなジャンルを別け隔てなくその時の気分で聴き、心癒してくれるかけがえのない音楽。
昔はバッハとヘンデルしかなかった時代を考えると、今はなんて贅沢かつ幸せな時代なんだろう。
今となっては気楽に聴ける音楽のJazz、聞き始めたきっかけはなんだったのだろう。
◆Jazzが好きになったきっかけ
小学生の頃、クラシックしか聴かない父上がデイヴ・ブルーベックのTAKE5のレコードを買ってきて、僕も物珍しく聴いていたのがたぶんJazzの最初。

誰もが聞いたことのある曲だけど、彼がそれを聴いてたのは音楽として珍しい曲名通りの“5拍子”に興味があったかららしい。
僕は親のいぬ間に“触ってはいけない”とされていたステレオを操作して、レコードがゆっくり回るのを眺めながらこっそり聴いていた。
確か小学生の1年か2年生の頃。
それから幾年か経って本格的にJazzを聴くようになったのは、少し年の離れた姉の彼氏に影響されたので間違いない。
今はめでたく義兄にあたる人だけど、僕とちょうど一回り年が離れていて、その頃の僕には(見かけは別として)彼のやることなすこと全てがかっこよく見えた。
ある日彼がマイルス・デイビスのKind of Blueのレコードを貸してくれたんだ。
1985年の春で、秩父宮ラグビー場の横のテニスコートで一緒にテニスをやった日で、そのあと寿司屋に連れてってくれたんだ。
だからKind of Blueを聞くと春の外苑前の情景と匂いを思い出す。
名盤とされるKind of Blueのスローナンバーには気だるさの中に何とも言えぬ緊張感があって、そのレコードを聴いた後は妙な疲労感と脱力感を感じて藻抜けになった。
ピアノはビル・エヴァンスにテナーサックスはジョン・コルトレーン…。
今から思うと夢のような物凄いメンバーで、コルトレーンの硬質でいてせつないソロがまた心に沁みた。
その一枚でどっぷりJazzにハマった時の心境は、随分と大人になった気分で成人雑誌を堂々と買える様になった気持ちに似ていた。

それからはスイングジャーナル(Jazzの専門誌)を毎月買って、既に残り少なくなってきていたJazz喫茶に通い、学校をサボって新宿PIT INN(Jazzライヴハウス)に昼間から通うことに何のためらいもなかった。
Jazzを聞き始めたのは周りに沢山いた巨人ファンの中、ヤクルト・スワローズのファンを始めた時の感覚に少し似ていた気がする。
当時のJ-POPや流行りのロックの様に操作された商業音楽ではなく、'50~60年代のJazzを聴く行為(スタイル)が流行に対して“差別”と“優越”を感じていた気がする。
『周りの流行の音楽に流されていていいのか…』
なんて、やるせない気持ちの矛先を思想に求める左翼学生みたいな気持ちになって、日々Jazzを聴いていたのかもしれない。
今では持っていたレコードも復刻されたCDに次々と置き換わり、今でも少しずつ増え続けるCDは絶対に越えられないクラシックは無理だけど、もうすぐJ-POPの数を超えようとしている。
Jazz。
それは青年期に移行する不安定な自分の気持ちを代弁する“スタイル”であり、今ではその時の気持ちを懐かしみながら気楽に聴ける音楽の一つなのである。
そのきっかけとなったテニスの帰りのあとの外苑前のお話は…、また今度。。。