はじまりのはじまり。
それはきっと何かが終わったときなのかも。
新しい生活を始めたり、新しい目標に向かって生きることを決めたり
するにはきっとまず終わりがある。
なにかが終わると、時に焦燥感にかられる。
そして新しい生活や目標が浮かんでこない時は、
なぁーに、焦ったり心配することはない、
Jumpするためにかがんで、力と想像力を溜め込んでいると考えればいい。
そんな時間、人生にはとっても大切で、貴重なことなのだから。
だから、終わりははじまりのはじまり。
あとは飛ぶだけ。
大切にしていた物を無くすとすごく凹む。
四隅は皮が薄くなり色も変わって傷だらけの20年近く使い込んだ手帳には
”使い続けた”という自分の歴史や想いが詰まっていた。
手帳そのものは新しく買いなおせばいいのに、『愛着』というものはおいそれ
とは買い換えられない。
そうやって実際には形のない友情や愛情や愛着や想い出ほど失ったり、
手放すと激しく哀しさと刹那を感じるものだ。
そんな実態の無い友情や愛情を想い、想われることこそが
"自分が実在した"
という証なのかもしれない。
I was here.
あと、もう少し。。。
でも、それも、はじまりのはじまり。