昨日の昼間は秋らしいカラッとしたお天気だったのに、夕方から夜半にかけて雷鳴と共に、けたたましいにわか雨が降った。
子供の頃、夏に雷がゴロゴロと鳴って熱せられたアスファルトを雨が叩くと、独特の匂いがしてワクワクしたものだ。
でも、その匂いはなぜか夏にしか匂うことができず、昨日は感じることなかった。
昨日の雷、いや性格には稲妻は季節の変わり目で空気が入れ替わる雨だったのである。
その昔、学校で雷の季語は夏、稲妻は秋と習い、芭蕉や蕪村の俳句を覚えた記憶かある様な、ない様な…。
なにはともあれ、一雨毎に肌寒くなり、気が付けば肌掛けやタオルケットではなく布団に換わっている。
こうして秋が深まるのを感じられるのは、まだ日本には四季があって、季節の変わり目を天気が教えてくれてる事を現している。
雷の多い年は米が豊作…。
今週、新潟産の新米を頂いたが、あまりの美味しさにびっくりした。
いつまでもこうして毎年実りにありつけて、あり難さを感じたいものだ。
夏にかけてお米の味がだんだん落ちてるのに気付かず、新米になると劇的に美味しさを再認識する…。
それこそが、まさに粋や季節感なのだ。
季節をほんの少しずつ先取りして料理に生かす日本料理は素晴らしい。
1~2回店に行くだけで、「季節感」「粋」「おもてなし」「しつらえ」「器」「場の空気感」や「間」にはかまわず、皿の上の物だけを評価するというミシュランの覆面調査員には解るまい…、いや、解ってたまるものか…。
少なくとも季節ごとに一回、最低一年通ってから発信してほしい。
京都のミシュラン本が出て、日本人の誇りやヤツらにはわからない「粋」に土足で踏入れられた不満タラタラな精一杯の嫌みであり、皮肉なのである。
フランス人に日本の粋が解るのか? そして雷と稲妻の違いは解るのか…?
大群で高尾山に集結するフランス人を始めとしたとした外国人が、パンをかじりながら席をたくさん占領して大きな声で会話をするなりを京王線で見て確信した。
愚問である。