戦争を 経験しない 人でいる
8月15日です。
今日ドラマで見た「太陽の子」は衝撃でした。
事実に基づいたフィクションの作品でしたが、日本が原爆を作ろうとしていたということを今まで知りませんでした。
見終わって、何とも言えない重たく苦しい気持ちになりました。
これまで太平洋戦争のことを扱った多くの本や資料を読んだり、たくさんの映像や作品を見たりしましたが、自分はまだまだ無知で、ちゃんと知っておかないといけないことがまだまだあることを痛感しました。
この1年で改めて知って感じたことを拙いながらも書きたいと思います。
戦争のことが取り上げられた公演に関わった時、作品のことをもっとしっかり知ろうと、空襲で親を亡くし戦災孤児となった人たちの話をまとめられた本や絵本を何冊か読んだんですが、一人一人の話を読んで、とても辛くて悲しい気持ちになりました。
中でも孤児だからという理由で、預けられた家の人から虐待を受けひどい言葉を浴びせられ続けた人もいたという話もあって、涙が止まりませんでした。
特攻隊の人の手記を読んだりもしました。
特攻隊は自分から志願してなった人がほとんどだと思っていました。でもそうではなく、上からの命令で無理やり志願させられたということ、そのために時には暴力や薬物も用いられたということもあったことも書かれてあって衝撃でした。
「お国のために命をかける」とか、「名誉の戦死」とか、そんな美しい言葉だけで伝えられるべきはなく、「死にたくないのに死ぬしかなかった」という人たちもたくさんいたことも考えないといけないと思いました。
自分の無知さや浅はかさを恥じています。
ブログを書いているうちに、昔小学校の宿題でおじいちゃんやおばあちゃんから戦争の話を書いてきてもらって下さいというのがあって、おじいちゃんに何枚にも書かれた紙を渡されたんですが、当時自分は読むのが怖くて、紙を読むことなく先生に提出したということを思い出しました。おじいちゃんもおばあちゃんも今は亡くなり、戦争の話をちゃんと聞くことをしなかったのは心残りです。
終戦の日とされていますが、戦争を経験した方々にとっては決して言葉だけで片付けられるものでないと感じますし、戦争は絶対にしてはいけない。
兵隊になって死んだり殺したくもない。家族や大切な人や物を失いたくもないし、奪いたくもありません。
自分は戦争を経験していない人間でこれからもずっと居続けます。
拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。
トトロ見て 親友のこと 思い出す
金曜ロードショーでとなりのトトロをやっていました。
ジブリの大博覧会を見に行った時に体感したネコバスのあのふわふわモフモフの感触。
また味わいたいです。
初めてトトロを見たのは小学4年生の時。
同じマンションに住んでいた親友の家の部屋で見ました。
「まっくろくろすけ出ておいで~」と言いながら親友と弟と部屋中をはしゃぎまわって、家族の人に怒られたのを思い出しました。
その親友とは以前、ブログでも書いたあのT君のことです。
通っていた小学校の朝会で「さんぽ」が流れていて、体操服姿でグランドを行進をしたことも懐かしいです。
ちょっと恥ずかしいことを書くと、当時ちょっと気になっていたクラスメイトの子がいたんですが、その子に何かアピールしたくて、手足を思いきり振ってあげって行進をしていました。
それを見ていたT君に、「○○、お前何張り切ってんねん~」と突っこまれたので、もう恥ずかしくて顔を赤くしながら「何やねん、別に張り切ってないわ~」って走って教室に戻ったことを思い出しました。
T君にはけっこうからかわれてて、ムカついたことも何回かありましたが、その度に気持ちよい明るさで「ごめんな、また遊ぼな」って言うので、自分のムカつきもすっかりなくなってしまう。そんな間柄でした。
トトロを見ると、ふとあの時に戻りたいな~と思います。
質問の 曲を答える パート3
時忘れ ギターを弾いて 歌った夜
そういえば 自分のこれは こうだよな
1週間ぶりの劇団のオンライン稽古でした。
今までよりもカメラの画角を高くするために、イスの上にカードバインターやジェンプ、漫画などを18段積み上げるという荒業をしました。
家の中での立ち稽古をするのも、なかなか良いものだと実感しました。
社会人の役者をやり続けている中で、自分ってこう見られてるんだなっていうのを考えるようになりました。
そんなわけで今回のネタは…、「…されがちな自分」にしようと思います。
何個かあるうちの一つを書きます。
実はこれまで相手に声をかける時に、最初ビックリされるということが時々あります。
つい昨日も、職場の人に「お疲れ様です!」とあいさつをした瞬間、「うわっ!…あっ!どうも、お疲れ様です!」とビビられてしまいました。
お客様に「いらっしゃいませ!」と声をかけた時も、まず「!!」とビックリされてから、「あっはい。…したいんですけど」とご用件を言われるということも少なからずあったり。…接客業をしているのにそれはどうなんだ(苦笑)
自身の性格上、相手に声をかけるときは、まず空気を読んで、気を遣うことの方が多いのですが、自分の意志に反してビビられてしまうと申し訳なさと同時に何だか空しい気持ちになりますね(笑)
原因は自分が思っているより声が大きいのか、何となく相手をビビらせるようなオーラが出ているのだろうか、空気を読みすぎて読めてなかったり、間やタイミングの悪さなのだろうか、見た目の問題か…いやまあ、全部か(笑)
気がつけば忘れてしまっているので、気にするほどでもない些細なことなのでしょうが、「そういえば自分ってこうされがちだなあ」…ていうのを考えてみると、このことが頭に浮かびました。
これを機に少し意識を変えてみようかな。
脱・ビビらせ屋!(笑)
質問の 曲を答える パート2
質問の 曲を答える パート1
これだから 阪神ファンは やめられない
6連勤が終わり、今日は家でのんびりと休日を過ごしておりました。
甲子園で阪神タイガースが試合しているのをテレビで見て、嬉しくなりました。
ガルシアの好投と、ボーアのホームラン!チームも3連勝と波に乗ってきました!
そして甲子園で阪神が勝つのが待ち遠しくて、やってみたかった「とらほー!」のツイートもしてしまいました(笑)
そんなわけで自分は子供のころから野球が大好きで阪神タイガースファンです。
父がテレビで阪神の試合をずっと見ていて、小学3・4年生くらいの時に父に甲子園へ連れていってもらって、生で阪神の試合を見たこともあり、自分も気が付いたらファンになっていました!
90年代の暗黒時代から、2003年と2005年の優勝、そして現在に至るまで、たくさんの悔しさや怒りや悲しみ、たくさんの嬉しさや楽しさや喜びをタイガースから味わいました!
新庄が敬遠球を打ってサヨナラ勝ちした試合、優勝がかかる試合で赤星がサヨナラヒットを打って星野監督に抱きしめられていたシーン、前日の試合で骨折した金本が片手一本でヒットを打ったシーン、藤浪が投げ新井兄弟がホームランを打った職場の友達と観に行った試合、マートンがイチローの持つシーズン最多安打記録を塗り替えたシーン、桧山が現役最後の打席で9回2アウトからホームランを打った試合、がんを乗り越えた原口がサヨナラ打を打った試合、メッセンジャーの引退試合&セレモニーなどなど、印象に残る試合やシーンがたくさん!!
好きな選手も新庄・桧山・金本・マートン・藤浪・近本と変わっていったり増えていってます!
一番嬉しかった思い出は、マートン選手に会えたことです。
その時は泊まり勤務を終えて、職場の後輩に誘われ帰りにごはんを食べに店に寄っていました。
しばらくすると、後輩が「あそこにいる人、マートンちゃいます?」と一言。自分は「まさか~!そっくりさんやないん?」と最初は気にもしていませんでしたが、周りにいた人たちも少しずつざわめき始めたので、これはひょっとして…と思い、失礼を承知で声をかけたら…正真正銘のマートン選手でした!!!
めちゃくちゃ嬉しくて、まさかこんな場所で会えるとは思っていなくて、とっさに職場のメモ帳を開いてサインをお願いしたら快く応じてくださり、写真まで撮っていただきました!!
阪神ファンでいてホンマに良かったと思える瞬間でした!!
今シーズンは甲子園へ観に行くのは自粛して、家で試合を見れる時にしっかりとテレビで応援することにします。
ちゃんと覚えてませんがこれまで見に行った試合では勝つことが多かったので、いつの日かまた球場で六甲おろしを歌える時が来る時を願いたいですね!
これまでも、今も、これからも、勝っても負けても虎命!!
それでは!
友達が 幸せだったら それでいい
友達に会って話したいし、ごはんに行ったり旅行したり遊びに行きたい。
オンラインやSNSで交流がとれるといえ、やっぱり生で会いたいですよね。
でもまだまだコロナが不安。自分が感染したくないし、周りにうつしたらいけないし、気持ちを抑えています。
今日は昔の友達のことを書こうかな。
小学生の頃、めちゃくちゃ仲の良い友達がいました。ここでは、T君としたいと思います。
T君とは同じ小学校に通ってて、同じマンションに住んでいました。
彼はヤンチャで明るくてふざけるのが大好き。内気で恥ずかしがり屋の自分とは正反対の性格。
すぐに会える距離だったので、一緒に学校に帰って、お互い相手の家でゲームをしたり、外の公園で遊んだり。
特に一番楽しかったことは、習い事で週に1回通っていたスイミングスクール。
プールが終わったら、近くのマクドでポテトやハンバーガーを買って、一緒に歩いてふざけあいながら家に帰るのがホンマにとても楽しかった思い出です。
そんなT君が、近々遠くに引っ越すことになり、離れ離れになることが決まってしまいました。
会えることも少なくなるから、遊べる時に一緒に遊ぼう!
そんなことを思いながらしばらくして…阪神・淡路大震災が起こりました。
幸い家族もみんな無事でしたが、家の中がめちゃくちゃになり、周りが次々と火事になっていて、家にいるのは危ないってことで、祖父母の家に避難することに。
マンションの階段を下りている途中にT君に会い、「おっす、大丈夫か!?」と声をかけてくれました。
自分が「うん、大丈夫やで!」と答えた後、T君は笑ってくれました、そして自分が「またね、バイバイ!」と言って別れました。
後になって考えると、あの時は怖くなっていたし、気持ちも動転していたと思います。
T君と会って話したのは、それが最後です。
後日、先生から震災で引っ越しの予定が早まり、遠くへ行ってしまったと聞かされました。
あの時はまだ携帯電話が普及していなかった時代。
引っ越し先の電話番号や住所を聞けていたら、電話や手紙という方法でやり取り出来たかもしれません。
長い間、別れる前に聞かなかったことを後悔していました。
会えなくなって25年が経ちました。
何してるのかなあと、時々ふと思うことがあります。
今頃は仕事で出世をして、結婚して子供が出来ているかもしれない。
若いときは会いたいという気持ちもかなりあったんですが、今は不思議と会おうという気持ちはそんなにはないです。
「幸せになってて、明るく楽しく生きててたらそれでいい。ずっとあいつのことは忘れないし、会わなくてもどこかでつながっている…!」
そう思っています。
では今日はこのへんで。
おやすみなさい。
おめでとう ずっと大好き リンゴスター
今日7月7日は七夕です……それにリンゴスターの誕生日です!!
リンゴも80歳。おめでとう!!
というわけで書くネタは昨日から決めていました(笑)
リンゴスターは言わずもがなビートルズのドラマーです。
抽象的な表現になってしまいますが、リンゴのドラムには安心感や優しさ、エネルギーやワクワク感、目立ちすぎていないけどあふれ出ている存在感、ロックンロールやメンバーの愛など、たくさんのものが伝わってくるんです!
特に「Rain」や「Helter Skelter」、「The End」という曲ではめちゃくちゃ演奏がかっこよくて、ドラミング技術の高さを聴くことが出来ます!
ドラム以外でもユーモアがあふれ、役者の才能もある。そして笑顔がチャーミングでかわいいんです(笑)
個人的な意見ですが、リンゴがいるだけで場が和みメンバーもホッとする…そんな存在だったんだろうなと勝手ながら思っています。
普段はヴォーカルを担当することは少ないですが、みんなが平和に楽しく暮らせたらいいなという歌詞の「Yellow Submarine」や、友達がいればなんとかなるという意味の「With A Little Help From My Friends」という曲では、リンゴのヴォーカルを聴くことができます。
明るくて優しいリンゴにはまさにぴったりですよね!
一つエピソードを書きたいと思います。
ビートルズがライブで世界中を飛びまわっていった前期の頃をまとめたドキュメンタリー映画「Eight Days A Week」で、リンゴは「ファンの子たちの叫び声で自分たちの演奏が聞こえなかった。だからメンバーの背中を見なければならなかった。(メンバーの)みんなが肩を小刻みにやっていたら、そうか!今はここだ!と理解したんだ」ということを言っていました。
ビートルズが活動していた60年代当時は、音響のPAシステムが発達しておらず、メンバーも自分たちの声や音が聞こえないまま演奏していたということがたくさんあったようです。
そんな中で、メンバーの肩を見てどこを演奏しているかを把握してドラムを演奏していた…!
まさに、あうんの呼吸というか、ドラマーとして、自分の前でギターやベースを演奏しているジョンやポール、ジョージの後ろ姿をいつも見ているリンゴだからこそ出来たことですね!
リンゴのメンバーに対する信頼感やビートルズ四人の固い絆…を感じたエピソードでした。
80歳になった今でも、明るいユーモアでラブ&ピースのメッセージを届けてくれる、そんな優しいリンゴがいつまでも大好きです!!
