「カディスからセビーリャまで」連載4回目 マヌエル・ガラン氏の記事
うっかりして前号を買うのを忘れてしまいました。友の会のデスクにあったものです。
1972年7月21日、エル・クエルボ駅付近で起こった列車事故の記事が目を引きます。
友の会幹部のアントニオ氏が当時のことを語ってくれました。
犠牲者は80名、多くの若い兵隊たちが命を落とした大惨事。レールバスの運転台には研修生が同乗して、ベテランの指導を受けていた。正規の運転手は給水作業をしており、その間に信号の確認を任されていた見習いは青信号を確認。運転士が戻ってきた後、既に赤信号に変わっていたことを認知せずに発車。単線区間ゆえに、そのまま線路上で正面衝突。
当時、アントニオ氏はメカニック担当で機関庫で働いており、午後に職場で事故の知らせを聞いたそうです。この事故を教訓として、サン・ベルナルド駅が管轄するCTC信号システムの改良が進み、その中心的な役割を果たしたのがミゲル氏でした。

