ルートヴィヒ2世ワゴン | スペイン鉄道暮らし

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メルクリンHO バイエルン王ルートヴィヒ2世ワゴン
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バイエルン王国の紋章

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即位当時のルートヴィヒ王の肖像

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1860年代のバイエルン蒸気「トリスタン号」と共に


1845825日 バイエルン ニンフェンブルク城にて誕生

1864310日 即位(18歳)

1886613日 シュタンベルク湖にて死去(40歳) 謎の死は暗殺説が有力


太陽王ルイ14世を君主の模範として、生涯に幾つかの城を築いた、ノイシュヴァンシュタインは際立って有名。ワグナーの音楽に傾倒してパトロンとなり庇護。


1866年の普墺戦争では外交上オーストリア側で参戦して敗れたが、ビスマルクには尊敬の念を抱いていた。多額の賠償債務を負った状況においても芸術趣味に浪費し続けたことで側近の離反を招く。

ルートヴィヒは、ヴィッテルスバッハ家の同族であるオーストリア皇后エリーザベトを恋慕していたが、皇后は妹ゾフィー・シャルロッテを王妃に推薦、18641月、ゾフィーと婚約。挙式はルードヴィヒの誕生日とされたが、予定を2回延期。許婚の父マクシミリアンは婚約を反故にすると通告、王は婚約を解消。この態度にエリーザベトは怒って王と絶縁。

補足

ゾフィー・シャルロッテ(1847 - 97

婚約解消の翌年、フランス王ルイ・フィリップの孫アランソン公と結婚。一男一女をもうけた。慈善事業に尽くし、18975月、パリにてチャリティーバザーの火災で焼死。バザーの少女たちを先に救うことを求めての死であった。