アラビアの鉄道史 | スペイン鉄道暮らし

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サウジアラビアの鉄道に関する記事

 ルイスのZな部屋&海外鉄道紀行

出典 スペインの鉄道雑誌「Via Libre19807月号


1517年 オスマントルコのエジプト征服によりアラビア半島はトルコの支配下に置かれた。以来長きに渡って沙漠の部族はトルコに対する反抗精神を持ち続ける。

20世紀初頭にはトルコのスルタンの権力は有名無実になっていた。

1913年、ウアビタ族の長アブデルアジスが勢力を伸ばしてエル・ハザを占領。

この反乱を利用してイギリスは東部国境に軍を展開、スエズ運河を確保する目的で戦線を築く。この時にメッカ鉄道はロレンス大佐の指揮によって破壊された。
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第一次大戦前のヒジャーズ鉄道、カデム駅
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ヒジャーズ鉄道 マレー式蒸気機関車 Henschel製造


第一次大戦が終結した後も中東地域に平和は訪れなかった。イラクのファイサル王の息子でメッカの太守フセインとエミールアブダラは、アブデルアジズの権限を受け継いだイブン・サウドと対峙する。

1926年、イブン・サウドは対立勢力を駆逐して、ヒジャーズとネジュドの王を宣言。1932年、サウジ・アラビア建国。この国家の出現により、アラビア半島はイエメン、オマーン、アラブ首長国連邦、クウェート、イラクなどの国との間に新たな国境線が形成された。サウジアラビアの大部分は沙漠地帯で、住民の殆どは遊牧民の部族であったが、やがて石油の採掘により世界最大の原油輸出国となる。

1933年、アラビア・アメリカ・オイル会社(ARAMCO)が初めて半島西岸の油田を開発。その後も油田の発見が相い続き、石油輸出によりサウジアラビアは世界有数の富裕国となった。他のアラブ諸国への経済援助、イスラエルとの戦争の資金援助を行ない、世界の大企業の株主となり、観光地や島々を買収、ホテルや不動産を取得していった。


鉄道プロジェクト

鉄道事業はイブン・サウド王の関心の的となった。当初のサウジアラビアには旧ヒジャーズ鉄道の一部である100km程の路線があるに過ぎず、殆どはアラビアのロレンスの戦闘で破壊されていた。まずは、その再建プロジェクトに着手。路線はヨルダンからサウジアラビアの国境を越えてエル・ムダワラに達した。しかし、国境からメディナまでの距離は約700km、今もなお建設の途上にある。

別のオスマン・トルコ時代のプロジェクトとしては、紅海のホデイダ港からイエメンの首都サナアを結ぶ路線があり、1913年の時点でまだ進行していたが、第一次大戦の勃発で完全に頓挫。

アラビアの領土に鉄道が走るまでにはさらなる年月を要した。首都はリアドに定められ、最も近い港であるアラビア海のダンマンと結ぶ計画が始動。専門家の意見ではこの路線は特に重要なものではなかったが、いわば、アラムコ社からサウド王への贈答品のようなものであった。しかし、首都の急激な人口増加に伴って、交通網の整備は現実的な必要に迫られたものとなっていく。


1946年に最初のプロジェクトが始動、194811月、ダンマン港からの路線着工、地形は平坦でさほどの困難もなく進行した。ただし、風による沙漠の砂の流動で線路が埋没する懸念があったので、高さ9mの築堤を造ることで対処した。建設チームは100名、200名、300名という単位で従事、近代的な機材を導入して、一日あたり2kmの進度でレールが敷設、工事は順調に進んだ。ダハマ沙漠における最高地点は海抜680mに達した。

1949212日、最初の貨物列車がアブカイ(60km地点)まで走った。同年59日、旅客列車がダラン(16km地点)まで運行開始。194910月、路線はオアシスの町ホフフ(130km地点)まで到達。路線は280km地点から北西に向かい、最終的にリアドに達するという計画で、総距離は556km

19511020日、首都リアドにおいて、イブン・サウッド王と皇太子が臨席した荘厳な落成式が行なわれた。 当初からディーゼル機関車が導入、主に貨物列車と旅客用ディーゼル列車が運行。運営はサウジ政府鉄道会社が担った。


1953年にイブン・サウド王が亡くなると、後継者たちは鉄道事業に関心を示さず、原油価格の低迷や自動車の発達により、その後の約20年間は発展が滞った。1971年、最終的にヒジャーズ鉄道の再建は挫折した。

1973年のオイルショックを契機として、再び鉄道計画が注目を集めるようになる。シリア、ヨルダン、サウジアラビアの各政府との合意により、国際規格の軌道によるメッカ鉄道の建設プロジェクトが立ち上がり、1975年には具体的な研究が始まり、1976年には幾つかの企業が、紅海のジェッダ港またはヤンブからメディナ、ブライダを経て、首都リアドを結ぶ路線を検討している。また別の案は、ジェッダ、メッカ、リアドを直接結び、既設の路線を通じてダンマン港まで伸びる路線である。


クウェート鉄道

アラブ連合においては、イラクのバグダッド、ウム・カスルから、ダンマン港まで伸びるペルシャ湾沿岸の路線が検討されている。将来的に計画が実現さればクウェートにも鉄道が敷設される。これら全体のプロジェクトの完成により、サウジアラビアは全長2000kmの鉄道網を有することになる。

(抄訳 by ルイス)