コリア・デル・リオからさらに南のグアダルキビール川に沿った町。
初めてここを訪れたのは約20年前のこと。支倉常長の子孫に関する調査のためでした。小さい町ながら分相応に立派すぎる市庁舎。当時の助役はハポンさんで、その人物と会見したのです。その頃と比べてさらに発展していましたが、旧市街の古い教会の裏手の風情は変っておらず、遠い記憶が甦ってきました。
今回の訪問の目的は廃駅跡の探索です。
コリアから直線に伸びている坂道を一気に上がるとプエブラの町の入口。今は路線バスが走っているこの道を、昔は電車が走っていたのです。
最初は旧駅の跡がわからず、バスから降りそびれてしまいました。車内の老人に聞くと、ずっと手前のロータリーのある駐車場広場がその場所とのこと。昼下がりの強い日差しの中を2kmほど歩いて戻り、広場の一角にたどり着き、アイスクリーム屋のおばさんに尋ねると、「この先のバルに古い駅と電車の写真があるわよ」と教えてくれました。
「バル・エスタシオン 1957」 数字は店の創業年。
とにかく喉が渇き、お腹が空いたのでランチタイム。冷たいティント・デ・ベラーノ(赤ワインのスカッシュ)を立てつけ2杯。タパス(つまみ)はメルルーサとイカのオリーブオイル焼きを食べて生きかえりました。
左手の壁を飾っている写真を複写、個人的にブログに載せることも快諾してくれました。おじさんたちの溜まり場的なバルで、当時の様子について質問すると、「さぁて、電車が消えたのは50年前、いや60年前だったか・・」と曖昧な答え。幸いなことに写真の片隅にはクレジットがついていました。
1932年1月31日 一番電車の到着
手前の土手はならされて、現在は広い更地の駐車場
1932年1月30日 プエブラ駅の落成式
子供たちで一杯のホーム この子たちは歳老いて多くはこの世を去っているのですね・・
1932年3月 駅舎と構内のポイント
1932年3月30日 開通当初の本格的な編成の電車
1965年 廃止直前の貴重な記録写真
地元の新聞社で見つかった写真を複写したもの
収穫が多くて充実した一日でした♪




