ここ半月考えていたこと。 | 長月式部日記

長月式部日記

さまざま思ふこと

ここ半月、いろいろ考えることがあって
ブログを書くことが出来ずにいました。

それは、ジャーナリストの山本美香さんの死に
余りに衝撃を受けてしまったから…
山本さんと面識がある訳ではないのです。
でも彼女とは同世代。
その事に激しく反応している自分がいました。

非常に個人的な気持ちのことなのだけれども、
吐き出しておかないと前に進めない気がしています。
とりとめもない、思いっきりつぶやきモードになりますが、
とりあえず書いておくことにします。



  ★  ☆  ★


ジャーナリストの山本美香さんが、取材先の
シリアのアレッポで銃撃を受けて亡くなられた。
ロンドンオリンピックだ、スターウォーズだ、などと
浮かれまくっていた時に聞いた衝撃のニュース。
平和ボケな自分が何だか情けなくて恥ずかしくて、
色々考えずにはいられなかった。

同じ世代に生を受け、育ち、大人になったけれど
当然ながらまったく違う人生。
人にはそれぞれ自分を活かせる分野がある、
というのが私の持論なのだけれど、
山本さんの世界と私の世界は全く違うものだから
人生の比較は出来ないし、しても意味が無い。
それでも少し矛盾する様だけど、
彼女の生きてきた道と私の生きてきた道の違いは
一体何なのかと、深く深く考えてしまった。

戦場にあって弱い立場にある幼い子供や女性に目を向け、
世界に情報を発信していた山本さん。
私はといえば、原発事故の影響に苦しみながらも
家族と一緒に南相馬市に住む友人に、
時折励ましメールを送る位しかしていない。
被災地のボランティアに行きたいとは思っていても、
なかなか腰が上がらないまま今に至ってしまった。
一体、なにをやっているんだろう??

私はジャーナリズムに興味を持ったことはないけれど、
実は戦争や紛争に関心を持たずにはいられない状況に
たびたび身を置く機会があった。

まず、私には身近に強烈な戦争体験をした人がいる。
7歳の時に終戦を迎えた母である。
東京の下町で育った母は、疎開するのが遅れて
激しい空襲を体験した。
ある時、隠れていた防空壕のすぐ側に爆弾が落ちて
完全に生き埋めになってしまったのである。
幸い浅い所に埋まっていたので、手に持っていたお箸で
被っていた土に穴をあけ、九死に一生を得た。
同じ防空壕に居た人は全て亡くなってしまったそうだ。
(この時、偶然にも家族は別の防空壕だった)

以来、母は狭い所が大の苦手だ。
しかも埋まった時に近くでオルゴールの様な音が鳴っていたとかで、
今でも同じメロディを繰り返すオルゴールを聴く事はできない。
すでにその体験から70年近くが経つのに、である。
母がこの時亡くなっていたら、当然ながら今の私は影も形もない。
こんな戦争中の体験を幾度となく聞かされて育った私は、
戦争について触れる機会は多いほうだと思う。
(個人的な関心もあったけれども)
ちなみに学校では、戦中の歴史は全く教えられなかった。
日本史の教師が、教科書の昭和のページを指定しながら
「この部分は省略します」と話した事が忘れられない。


そしてもう一つ、非常に印象深い経験がある。
19歳の時、ロンドンへ短期の語学留学に行ったのだが、
その時、同じクラスにイスラエルから来た兄弟が居た。
17歳と14歳の男の子の兄弟。
その頃の私はイスラエルが抱える複雑な問題をほとんど知らなかった。
そしてある授業の時、なぜか兵役の話題になった。
クラスにはヨーロッパ各国から生徒が来ていたのだが、
その時初めて、兵役が義務である国が沢山ある事を知った。
私はまだ英語で話すのが苦手だったので、日本には自衛隊という
組織はあるが、兵役は義務ではないと伝えるのがやっと。
というより、それくらいの知識しか無かったのだ。
自分の意見が全く言えず、非常に恥ずかしかった。

そしてイスラエルから来た兄弟、とりわけ兄の方は
すぐに兵役の年齢(18歳)に達するため、
戦争には行きたくないと言って黙ってしまった。
この授業の時、私は彼の隣の席にいたのだが、
どう反応していいのか困ってしまった記憶がある。
母から戦争体験を聞いてはいたものの、世界では
まだ戦争が起きているんだと強烈に感じた出来事である。
今でも時折、その兄弟の事を思い出す。
生きていてくれているのだろうか。

それから、1996年に起きた在ペルー日本大使公邸占拠事件。
何と言う巡り合わせなのか、実はこの時
私は外務省関連の仕事をしていた。
人質になった人の中には見知った人もいたのである。
職場では1日中テレビのニュースがつけっぱなし。
事件発生時の緊迫した、凍りついた様な雰囲気や、
事件が解決するまでの数ヶ月の緊張状態は
今でも忘れられない出来事の一つである。


私は子供の頃、添乗員に憧れて旅行業界に入った。
一時、業界から離れた時期もあったけれど、
縁があって再び戻って今も働いている。
「観光」は「戦争」とは真逆の世界だ。
ただ、今は現地情報を集める仕事をしているので、
テロやデモなどの情報も頻繁に入ってくる。
世界は一刻一刻、動いているというのが実感だ。


「観光」という観点から言えば、山本さんが亡くなったシリアにも
パルミラ遺跡というとても有名な世界遺産の観光地がある。
シルクロードの拠点としても栄えた古い都市遺跡だ。

ジュラ紀まであと少し


パルミラ遺跡はシルクロード人気と相まって、
日本人にも割と人気のある観光地。
ヨルダンのペトラ遺跡(映画インディ・ジョーンズで有名)や
死海と組み合わせたツアーが多く企画されていた。
けれど、当然ながら現在この地へ行くツアーは無い。
紛争が終わってパルミラ遺跡はもちろん、
歴史ある首都のダマスカスに行かれる様になるのは
一体いつになるのだろうか…


  ★  ☆  ★


何だか全くまとまらない文章になってしまったけれど、
とにかく何かを考えずには居られないほど
私にガツンと衝撃を与えた山本さんの死でした。
きっと私だけでなく、多くの日本人にとっても
世界には戦争が起きている地域があるという現実に
目を向けさせてもらった事でしょう。
でもここまで考えても、相変わらず腰の重い私。
ただ、世界(もちろん日本も入ります)の状況を
「知る」という事は積極的に続けていきたい。
目をそらさずにいることが大事だと思っています。

死の直前まで自分の信念を貫いていた山本さん。
さぞかし無念ではあると思うけれど、
最期まで愛する人と一緒だったことは
慰めの一つと思いたい。 
どうぞ安らかに…


さぁ、私も前を向かなければ。