<その1>から間が開いてしまいました

記憶が薄れる前にペースをあげなければ!!
真言宗の総本山である金剛峯寺をたっぷり拝観した後は、
空海が密教思想を具現化すべく建立した壇上伽藍へ向かいます。
伽藍とは、梵語(サンスクリット)のサンガ・アーラーマという言葉の音訳で、
僧侶が集い修行する場所という意味があるそうです。
密教にはその世界観を視覚化した「曼荼羅」という仏画がありますが、
壇上伽藍は仏教建築によって表された立体曼荼羅なんだそうです。
全体図はパンフレットより
まずはその中心に位置する根本大塔(こんぽんだいとう)。
曼荼羅でいうと真ん中の大日如来のポジションに当たりますでしょうか。
空海・弘法大師が存命中から着手した建築物ですが、
現在の建物は昭和12年に再建されたもの。
外観塗り替えは平成8年とのことで朱色が目にも鮮やかです。
高さ約50m、その中は立体曼荼羅にふさわしい世界なんですよ!
金剛峯寺HPより
「弘法」の額の文字は昭和天皇のお手蹟です。
ご本尊は高村光雲作の胎蔵大日如来で、16本の柱には
堂本印象画伯による菩薩が描かれています。
壁には密教の正統な継承者である八祖として空海(下の段左端)の姿も。
高村光雲のご本尊だなんて、なんだか一気に身近な存在に感じます。
そんな新しい仏像でもご本尊になるんだなぁ~と変に感心してしまいました。
そして高野山一山の総本堂である金堂(こんどう)。
こちらも昭和7年再建です。どれも割りと新しい建物ですね。
年中行事の大半がここで行われる、言わば高野山の中心の建物です。
ここには、「血曼荼羅」と呼ばれるなんとも凄い名前の曼荼羅が納められています。
平清盛が自らの額を割った血で描かせたことに由来するのですが、
ちゃんとDNA鑑定をして人間の血が使用されているのは証明されているんだそうです!
非常に脆くなっているため、現在はレプリカが霊宝館で展示されているのですが…
実はワタクシ、何年も前に東京の美術館に来た実物を見たことがあります!
それはもう、如来のお顔もわからないほど状態が悪かった記憶がありますね。
それにとにかく大きいんです!!
こんな感じです。大きいですね~
実はこの血曼荼羅、来年2011年夏に東京国立博物館で行われる
「空海と密教美術」展で展示されることが決定しています!
ちなみに東寺の男前な帝釈天さまもいらっしゃるんですよ~!楽しみです

そしてお大師さまのお姿を描いた「弘法大師御影像」が祭られていることから
その名がついた、御影堂(みえどう)。そのまんまですね!
元々はお大師さまの個人的な持仏堂だったのを、入定(亡くなった)後に
真如親王という方が描いた御影を安置して偲ぶお堂となりました。
お大師様の生身を写されている、とのことなんですよ。
一体どんな絵なんでしょう?
命日にあたる旧暦3月21日にしか内拝できないそうです。
気になって皆が覗くから、障子に穴が開いているんだとか…
(上の写真の障子の黒い点の部分です)
ちなみにこの真如親王という方、当時の日本としてはぶっ飛んだお方です。
平城天皇の第三皇子として生まれ(桓武天皇の孫ですね)、
一時は皇太子となるも、薬子の乱に巻き込まれて皇太子の地位を廃され、
わずか11歳で僧侶に。皇族から僧侶となった第1号の方だそうです。
後に空海と出会い、十代弟子の1人となるも空海と死別後、
なんと60歳を過ぎて唐へ渡ります。
この時すでに遣唐使が絶えていたので、唐の商船で大陸に渡り、
天竺めざしてシルクロードを旅するも消息不明に!
そして16年後に唐の留学層から朝廷に届いた手紙には、
どうやら旅の途中で亡くなったらしいとのことなのでした。
その時実に78歳だったそうです!
天竺(=インド)を目指してはずなのに、亡くなったのは
現在のシンガポールとジョホールバル付近だそうなのですが…
一体、何を求めて旅を続けていたのでしょうね。
皇子として生まれたのに異国の地で果てるなんて、なんだか悲しい…(ノ_-。)
さて、御影堂の前にあるのが三鈷の松(さんこのまつ)。
空海が唐から帰国する時、真言密教を広めるのにふさわしい場所をと
願いながら投げた三鈷杵(さんこしょう)という法具を日本に向けて
投げたところ、たちまち紫雲たなびき日本へ飛んで行きました。
そして帰国後に高野山へ登った時、この松に引っかかっているのを見つけた、
という言い伝えがある松なんです。
上の写真が飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょう)、霊宝館所蔵です。
空海が持っていた本物??
高野山もこの松から始まった、ということなので、
初心に帰るという気持ちを忘れない様に、この松の写真は
携帯で撮ってきまして、しばらく待受けにしてました!
ちなみに現在の松は7代目の松だそうです。
そしてこの松の葉は、3葉になっている珍しい松なんですよ。
縁起物だそうなので、しばし全員で3葉の松葉探しをしました(^▽^;)
実はワタクシメはなかなか探し出せずに諦めていたのですが、
ご案内人の方が見つけたのを頂戴しました。
自分の力に過信することなく、時には人の手も必要だ、という
お大師様のメッセージなのかな、と手に取った時に感じたんですよ~
ありがたいことですo(^-^)o
この壇上伽藍は1843年(天保14年)の大火で
西塔のみを残してことごとく焼けてしまったそうです。
ゆえに、どの建物も再建されてからの年数が若いんですね。
が、実は未だに中門だけが再建されていません。
現在、5年後の2015年の高野山開創1200年の大法会までに
再建されることが決定されているそうです。
火事の際、なんとか持ち出すことが出来た2体の像の
持国天(東)と毘沙門天(西)は、根本大塔に安置されています。
金剛峯寺HPより
他にも沢山の伽藍がありますが、キリがないのでもう一箇所だけご紹介。
壇上伽藍の端っこにある、とっても地味な建物の智泉廟(ちせんびょう)です。
金剛峯寺HPより
智泉とは人の名前です。
実は、空海の実の甥である智泉大徳(ちせんだいとく)の御廟なのです。
空海は智泉を大変可愛がったんだそうです。
僧としても優秀で唐へも渡ったことがあり、帰国後は空海の影の如く
付き添ったそうなのですが、37歳の若さで亡くなりました。
その時の空海の哀悼の言葉が残されています。
「為亡弟子智泉達士嚫文」より
哀哉哀哉復哀哉 哀しい哉、哀しい哉、また哀しい哉。
悲哉悲哉重悲哉 悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉。
スーパーな存在の空海でも、愛弟子(しかも実の甥)の死に直面して
こんなに素直な気持ちを書いていたんですね。
そして、曼荼羅の建築物の中にひっそりと小さな御廟を立てて偲ぶなんて、
なんだか人間・空海の一面を垣間見れたような気がしました。
次は、その3~大師教会での受戒体験に続きます!