盛岡食いしん爺日記
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11月24日に直利庵で今シーズン初の「たちこそば」を食べた。
「とても美味しかった~」
ある方と会っている時、そんな話をしたら、
「もう始まったの、食べたい!」
あれから1週間ほど。
しばらくは滅多に再訪しないが、行くことにした。
Dick Farney: Swannee River
朝から小雨降る日のことだった。
直利庵に着いたのは、11時40分頃。
平日なのに昼前から店の外にも待つ人。
中にも立つ人。
相変わらずの人気だ。
とりあえず傘をさして立っていたが、
「10分ぐらい待って駄目なら、別の店に行きますか?」
と言ってみた。
「そうしますか、千葉さんは並ぶの苦手ですもんね」
そうなのだ。
どうも行列に並ぶのは苦手だ。
色々な話をしていると、続々と店から客が出てきた。
きっと開店時間に入り、第一陣が食べ終わったのだろう。
入れかわりに次々に席に着く。
丁度、一番最後の辺りに案内された。
その方は勿論「たちこそば」。
たちことは北海道の一部で鱈の白子のことを言うらしい。
テーブルに運ばれる料理は、半分ほどが「たちこそば」。
向かいに座った方にも。
自分へのご褒美として食べたばかりだが、
見ているうちにまた食べたくなる。
たちこ、真鱈の白子の増し増しというのがあり、
表面が覆いつくされるらしい。
一度は、食べてみたい。
「すいません、お先に」
「どうぞどうぞ」
レンゲを持ちつゆから。
「あ~美味しい!」と幸せそうだ。
私は、大天ざるにした。
うすごろもで揚げたて。
海老は、ピンと一直線。
出汁のきいた天つゆと、言うことなし。
直利庵の風味豊かで品のよいそば。
細目で長い。
黒く輝く海苔の香り。
大好きなそばだ。
存分に直利庵のそばが食べたかった。
ひと口ごとに溢れで出てくる満足感。
そして天婦羅。
真っすぐの海老天は、太い海老で食べ応え十分。
しかし、食材の旨味を閉じ込めた天婦羅とは誰が思いついたのだろう。
室町時代にはポルトガルの「テンポーラ」という祈祷の際に食べられる料理が伝来したそうだが諸説ある様だ。
庶民の口に入るのは油の生産が増えた江戸時代。
立ち食いの鮨、そばや鰻などが人気の頃、天婦羅も屋台だった。
串に刺していたらしく天つゆにつけて食べた。
ひょっとしたら知恵のある方が、
そばに入れて食べていたかもしれない。
その頃、江戸の庶民は、幸せそうな笑顔で屋台の前に立っていたのだろう。
混んでいるのでそばつゆを少し急いで飲んだ。
「トイレに行って来ます」
と言い残して奥のトイレに向かって廊下を歩いた。
そうそう、中庭の池には岩魚がいるんだ。
池を見て足が止まった。
「えっ!」
こんなに大きく立派だったのか!
二階から覗いたことはあるが、はっきり姿が見えなかった。
それに数が多い。
「こんなにいたのか」
じっと見ていると、忙しい中、女将さん方が来て話してくれた。
そばのつゆにも使う井戸の水が潤沢に流れる。
まるで鮭の様な大きさで、こんなに立派な岩魚を初めて見た。
十数匹もいるそうだ。
写真を撮らせてもらった。
悠々と尾びれを振る姿はこの店の守り神の様だ。
気がつくと一緒の方も傍に立っていた。
女将さん方に、
「忙しいのにすいませんでした。ありがとうございました。」
と話して直利庵を後にした。
小雨は止んでいた。
帰りながら一緒の方が言った。
「あの岩魚、どうなるんでしょう?」
確かに、今度聞いてみることにしよう。















