盛岡食いしん爺日記
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空は低く次々と垂れ込める雲。
そして時々雨。
街の彩度が低い。
朝から晩まで湿度が高い。
そんな日が数日続く盛岡。
そのせいだろうか、なんか気力なし。
では、元気をつけにジンギスカンにしよう。
東日本大震災の後、沿岸の被災地に何度も行った。
支援物資を積んで行ったり、
仮設住宅の敷地内に小さなコミュニティハウスを整備したり、
炊き出しにも行った。
被災して1年ぐらい経った後にも行った。
盛岡への帰り道、遠野の街に入りかけた時、
ある人が言った。
「ジンギスカンが好きじゃないのに、遠野に食べられる店があるんです。」
丁度、6時半頃で胃が騒ぐ時間だった。
それが初めて行った遠野食肉センターだった。
その後、遠野を通る時は、
ランチや夕食にジンギスカンをよく食べる。
遠野食肉センターか「あんべ」という店のどちらかだ。
食べていると、時々あの時のことを思い出す。
真顔で「くさみもないし、やわらかいんです」と話していた。
今では遠野に行かくなくても食べられる。
遠野食肉センターの店が盛岡や矢巾にあるのだ。
2014年に矢巾町にオープンし、店で精肉も買える。
Shiny Stockings · Count Basie And His Orchestra
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遠野ではポピュラーらしいバケツジンギスカン。
セットで貸し出しもしているそうだ。
一度やってみたい。
一人で来てもカウンター席もある。
端の席でひとりで食べている人がいた。
焼き上がり口に入れてはニンマリ。
そして、時々スマホを翳す。
よくわかる、その気持ち。
私は反対の端に座った。
子どもの頃は、ジンギスカンの鍋があった。
真ん中が兜の様に盛り上がり、
縁がついていて余計な脂が溜まる。
この店の鍋は少しだけ真ん中が高い。
子どもの頃に父が好きなせいでよく食べたが、
大人になるとご無沙汰だった。
なにせ東京での学生時代は一度も食べた記憶がない。
ジンギスカンを忘れかけていた。
そして震災後に食べ始めたので、
かなり長い間、遠ざかっていた。
生ラム肩ロース。
私にとってたっぷりの野菜が重要。
特にモヤシ。
自分流は、熱々の鉄鍋に肉をのせ、
早めにひっくり返す。
野菜は下の方に並べ肉を囲むが、野菜の上に肉を置く人もいる。
そして下の縁に脂が溜まり出すとそこにモヤシ。
ラムから出る脂を染込ませ、タレにつけ食べる。
これが美味しい。
ラムはやわらかく、甘い脂。
体にもいいらしい。
野菜もどんどん焼く。
いつもの様にタレをたっぷりつけてご飯にのせる。
たまらない、ご飯がすすむ。
ジンギスカンのタレは重要なポイント。
甘めのタレに少し辛いタレを混ぜる。
子供の頃、父がタレを作った。
普段はあまり台所に立たない父。
大柄な背中を丸め真剣な目つき。
ニンニクなどのほかリンゴの擦りおろしも入れていた。
どこかで知ったのだろう。
「美味しいだろ」とみんなの顔を見る。
とりあえず頷いて食べた。
満腹!
早くも体が元気になった気がする。
コンビニのお釣りでもらった新五千円札。
津田梅子さんは尊敬しているものの、
あまり感激もなく、すぐ使うことにした。
お札も変わり、ジンギスカンもこんなお洒落なレストランで食べられる。
時の流れを感じた。
そして、マトンの時代とは違いラム肉のジンギスカンは、
きっとメジャーになる。
元気になってそんなことを思った帰り道。
矢巾町高田
遠野食肉センター矢巾店
Lamb.(ラム)矢巾店