盛岡食いしん爺日記
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朝から仕事。
気がつけば11時半。
珍しく2時間も集中していたことになる。
そろそろランチに行こう。
南大通を明治橋の方へ。
通りから東に入ると、寺の下寺院群がある。
南部藩時代に二つの地区に寺院を集めた。
もう一つは北の寺町通りの北山寺院群。
昔から、寺院が集まるところにそば屋がある。
この寺の下には、今も残っている。
そこに鰻で知られる「かわ広」も。
その寺院が建ち並ぶそばにある「かわ広」は、
百年以上の歴史のある老舗。
大正時代の創業。
その頃からの継ぎ足しのタレ。
店頭でかば焼きを売っていたが、
30年ほど前に店で食べられる様になった。
今でも、食堂への玄関と別にテイクアウトの店先もある。
Haruma Sato - Mendelssohn:On Wings of Song, Op.34-2
12時前にはカウンターの席に。
その日は、小上がりも2階にもお客さん。
私の後からも入ってきてカウンターも埋まった。
2度目に食べる「天むす定食」。
事務所でパソコンをオフにし、
今日は何を食べようかと、思いながら玄関の鍵を閉めた。
歩き出して、なぜか、かわ広の天むすと蕎麦が浮かんだ。
おむすびのご飯が美味しい。
いい具合の握り方。
粒だつ米が喜んでいる様だ。
海苔の巻き方にも工夫。
天ぷらを包むようにしてある。
大きさも食べやすい。
誰が始めたのか、天むす。
茶碗蒸しも。
プリンの様にスプーンの上で揺れる。
出汁もきいて美味しい。
これで千円でお釣りがくるとはありがたい。
蕎麦も美味しい。
汁と蕎麦の絶妙のバランス。
揚げたての天かすが溶けてほのかな甘み。
天むす、蕎麦を食べ、合間に茶碗蒸し。
ほっこりする優しい味の世界に癒される。
毎日食べても飽きないと思った。
隣のお客さんが入ってきた方々と盛り上がっている。
どうやら十数年ぶりの再会らしい。
お茶を淹れに来た店の方に「賑わってますね」
というと、
「ここで久しぶりに会ったりすること、多いんですよ」
なるほどお寺の用事や何かで寺の下界隈に来て「川ひろ」でランチ。
そこでばったり。
なるほど、ひとり悦に入っていた。
鰻重や鰻丼を食べる人たちもいる。
今度の仕事を終えたらスタッフを誘って鰻にしよう。
軽く弾む心。
蕎麦の汁、天むすのコメひと粒も残さず完食。
まだ、客の出入りが続く、長居は無用。
「今度、仕事が終わったら鰻食べに来ます」
「はい、お待ちしています」
外に出ると散歩したくなった。
たいていの人が、そう思う気がした。
すぐ隣に蓮正寺。
そこに「豆腐買地蔵」がある。
以前、「海ほど山ほど」と言う本の制作で取材したことがある。
昔々、病に伏した母を一生懸命看病していた息子がいた。
ある日、心配そうに母に「何か食べたいものはないか」と聞いた。
母は「豆腐を食べたい、食べたい」と言う。
そこで息子はせっせと豆腐を買いに行っては食べさせた。
すると病が嘘の様に治り、その後、元気に暮らした。
親孝行の息子は、日頃から信心していたお地蔵様に、
豆腐をお供えしたという話。
近くに、160年以上続いていた豆腐店があったが、
今はひっそりと看板が残るだけ。
そんな昔ばなしがある。
あの頃は、県内を取材して歩いたものだ。
今は、なんだか懐かしい。
寺の下を散歩。
今も水を汲みに訪れる人が多い青龍水。
近くには大慈寺清水もある。
たぶん、昔は水が豊富で美味しい豆腐を作ったのだろう。
昔は、ここで鰻を食べたものだ。
大慈寺小学校。
もとは木造だったが、
この地域の景観に出来るだけ合わせて改築された。
少しだけ関わったので通ると足が止まる。
懐かしい~
平民宰相だった原敬の菩提寺。
歩き回って珈琲も。
気がつくと2時半。
長いランチになった。
さあ、帰って仕事の続きをしよう。
早く終わらせて、鰻だ!
盛岡市南大通2丁目
「かわ広」