盛岡食いしん爺日記
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12月30日。
朝からパソコンに向かい、文字がぼんやり。
本の制作とは違う仕事。
正確性が求められ、
無機質な言葉を並べるていると、
すぐ肩が重くなる。
明日は、もう大晦日。
ゆっくり過ごせそうもない。
それでも特に苦痛でもなく落胆している訳でもない。
夕方、ある人からのメール。
「お互い忙しいなぁ~ちょっと早い年越しそばは、どう?」
とメール。
すぐ、着替えた。
待ち合わせた盛岡の老舗そば屋「直利庵」。
I've Got A Crush On You · Stacey Kent
2階の部屋もすべて明るい。
案の定、混んでいた。
うまい具合にテーブルが一つ空いた。
座るや否や一緒の人は「かつ丼」と言った。
「あれ?」と顔を見ると、
「急に気が変わった」と笑う。
私はざる蕎麦二枚。
あれこれ話しているとかつ丼が来た。
久し振りで見た直利庵のかつ丼。
見たわけでもないが、調理の様子が浮かんでくる。
丸く小さな鍋の玉ねぎにのる揚がったばかりのカツ。
玉ねぎは飴色になり、汁がカツに染みる。
ぐつぐつとしているところに玉子。
そして、鍋からするりとご飯の上に滑り落ちる。
向かいで「今夜は、ことさらうまい!」と言う。
「ご飯は炊きたてみたいだぁ~」
直利庵のカツは中華そばに入っても
たやすくころもは剝がれない。
向かいで唾を飲み込む。
お~来た来た、私の年越しそば。
品のいい蕎麦に上質の海苔。
明治から続く老舗の蕎麦。
いつ見ても奇麗な蕎麦だ。
「奇麗」より「綺麗」と打ちたくなる。
二つの言葉は意味に違いはない。
「綺」の字が常用漢字外。
戦後の常用漢字の改定で外された字の一つ。
奇麗、綺麗は、美しい度合いが違うという話もあるが、
いずれとても美しいことなんだろう。
ただ「奇」の字と比べて「綺」は、
あやぎぬと言う綾織の絹の意味で美しい織物。
それに後につく「麗」の字とよく合う。
勝手に思い込んで、
素直にシンプルに美しい蕎麦だから「綺麗」にしよう。
などと思っているうちにざる2枚が消えた。
ずいぶん前に、
目の前に立って私をどこかのお医者さんと間違え、
先生と呼ぶ人がいた。
たまたま、そのお爺さんと相席になった。
人間違いのお詫びを何度も言われた。
そして、せいろに残った短い端切れを箸で掴むのに苦労していると、
箸を垂直に立てれば簡単な事を教わった。
おかげで、今日もせいろはすっかり綺麗になり、
艶々したさらしなが、今からのってもいい感じだ。
少し残ったつゆに蕎麦湯。
蕎麦猪口から湯気にのる鰹節の香り。
なんだかんだと今年も一年が終わる。
慌ただしい中、わざわざ女将さんの見送り。
昼から夜まで大忙しの様だ。
こうして私の年越しそばは終わった。
翌朝、地元の新聞に直利庵が載っていた。
大晦日に必ず記事になる年越し蕎麦。
今年は、6千食と書いてあった。