What Are You Doing The Rest Of Your Life - Laura Fygi
<音楽が流れます、音量に注意>
先日、二戸の九戸政実の居城だった九戸城を見に行った。
城跡は広大で、一回りしたらポロシャツは汗だらけでTシャツに着替え、
車のエアコンの温度を下げてひと休み。
シートにもたれて地図を見ると、青森県の三戸町が近いことに気がついた。
更に北へ車を走らせた。
「三戸の街」
歴史を感じさせる街。
戦国時代、全国各地で領主が領地の拡大と拠点を防御するため城郭を造った。
旧南部家も三戸城を居城とし、勢力を拡大した。
その後、九戸政実の乱があったり、南部家も二つに分かれて争うが、
豊臣秀吉の6万以上もの援軍を得て、奥州北部は統一された。
秀吉が与えた御朱印状では、北は下北半島から南は、紫波、下閉伊から和賀までと広い。
その後、南部藩の居城が盛岡へと移る。
盛岡城の普請や城下町の整備に三戸から多くの武士や町人も来た。
内丸の日影門の外側の広い地域を三戸町と言ったそうだ。
盛岡で最初の市なども開かれた。
今でも三戸町と呼ぶ人も多い。
そして、役目を終えた三戸には城代が置かれていた。
城跡の中には、樹齢八百年と言われる杉の樹。
枝ぶりが凄い迫力だった。
樹齢四百年のサイカチの大樹。
神々が宿っていそうな古木は、長い歴史を見てきたのだろうか。
三戸町の模擬天守の温故館には、当時の武具や書簡が展示されいた。
城跡の丘は、熊原川と馬淵川の浸食により出来た河岸段丘。
急峻な崖の上にある天然の要害。
絵図で見ただけで、難攻不落と思ってしまう。
隣には、歴史民俗資料館があった。
そこで見つけた古い写真機。
城跡の中腹には復元された綱御門。
静寂の中で当時を思うと、甲冑や武具の音が聞こえてきそうだった。
門の中に入ると石垣の上に雉の親子がいた。
三戸城跡を見て回り、本丸の方に戻る頃には膝が疲れていた。
駐車場にあった自販機で飲み物を買ってひと休み。
車に乗り込もうとするとセミが寄ってきた。
タイヤの傍で、飛びたいのか休みたいのか。
見ていると体の自由が利かない様子だ。
きっと今夜が最後の日なのかもしれない。
小さな命を拾い上げ、草むらの中に静かに置いた。
もう羽を広げる力も無いようだった。
暗くなる前に三戸を後にした。
今度は、先日知り合った人に案内を頼んでみよう。
その日を楽しみに帰った。
盛岡に向かう途中、八幡町の「千代寿司」に電話した。
今夜は、家でゆっくりしたかった。
折を頼んでおいた。
相変わらず綺麗な鮨。
パソコンを開きながら食べた。
今宵は、一貫ごと味を噛みしめる。
岩手の県北と青森県の南は、旧南部藩時代から繋がりが深い。
県境というのはなんだろう。
しかし、盛岡の城や町の整備を三戸の人達が担い暮らし始めた。
詳しく知らなかったが、二つの土地の繋がりの深さは想像以上だった。
美味しい鮨を食べながら、色々な想いが湧いてきそうな夜。
それに、三戸にもう一度行きたいと思った。
スケジュールの調整をしてみよう。