<音楽が出ます、音量に注意>
<あの時のトライもチーム一丸となって>
北国盛岡の朝晩は、気温もひと桁
厚手のトレーナーを着て出かけた。
打合せが終わると夕飯時。
盛岡は八幡の「すずめ」の暖簾を潜った。
「いらっしゃい!」
相変わらず親方は元気。
ここは、自分達で好き勝手に焼く。
鉄板の温もりを感じながら「お疲れ様」とウーロン茶で乾杯。
<豚焼きそば>
<お好み焼きは海鮮ミックス>
<今夜の焼き上がりもまずまず>
熱々の鉄板の上で、美味しくできあがる。
ラグビーワールドカップの釜石の話に
向かいの人が「ひと試合中止で残念でしたね、そう言えばラグービーしてましたよね」
元々はバスケットをしていたが、
30代から40代の半ばまで、社会人のクラブチームに入りラグビーに夢中だった。
仙台で午前中バスケット、午後3時には盛岡でラグビーに。
ゴールデンウイークも市民体育大会で連日の試合。
眉の辺りを切ってもバスケット。
肋骨数回、鎖骨も折ったし、脱臼を繰り返した小指は曲がっている。
新聞記者のチームメイトが怪我で欠場した時に撮った大切な写真
<数人に囲まれても、ボールを持つとアドレナリンが出まくった>
スパイクから砂ぼこり、人と人がぶつかり合うと不気味な鈍い音
あの頃は185センチ、80キロぐらい
今は、7、8キロも削げ落ちた。
子どもの頃
ずいぶん悪ふざけや喧嘩もした。
怪我をさせてしまい、何度も母と菓子折りを持って謝りに。
今にして想えば、
湧き上がるエネルギーを持て余し、消耗する何かを本能的に探していたのかも。
ある先生から放課後に呼ばれ、相撲、野球と次々に運動をさせられた。
何かを見抜かれていた気がする。
しかし、時間の束縛から逃げた。
高校2年の頃に火がついた
毎日、昼休みや放課後、体育館で走り回った。
10人ほどの仲間とバスケット。
試験の時は部活が休み、チャンスとばかり遅くまで走り回った。
帰り道、ズボンが緩くなるのを感じたことも度々。
夢中で疲れ果てると邪念が消えていた。
<その夜の焼きそば>
少し濃い目に仕上がったが、それもまた美味しかった。
傷つきやすい青春時代ではなく、
心を少しコントロールできた40代には戻ってみたいと想いながら、
ちょっと走ってみたりの帰り道。
頑張れJAPAN!