令和元年6月
いきなり盛岡も30度近い日が続く。
古い友人から、山椒の葉と実を摘んできたから食べに来いとメールがあった。
何かを作るらしい。
小さなガラスの小瓶に瑞々しい緑色
珈琲を飲みつつ、もう一人の友人と待つことになった。
山椒の緑を見ていると、
中学2年生になるまで暮らした街を想い出す。
子供の頃
父は忙しく、休日はたいていゆっくり起きた。
初夏から夏にかけてだけ、街の輪郭が浮かぶ頃、父はいそいそと出かけた。
長靴を履いて近くの川に釣りに行くのだ。
物音に目覚めて窓を開けたことがあった。
目が合うと、
「いっぱい釣ってくるからな」と満面の笑みで自転車を押して行った。
意地悪く考えれば、こっそり出かけるつもりが、
子供に見つかったバツの悪さ隠しかもしれない。
春の陽射しが眩しくなってきたある日曜の朝
そろそろ父の釣りの季節が近くなると恒例の朝散歩。
<「この公園の近くに住宅が並んでいる」2年ほど前の写真>
<この辺りを散歩>
小高い丘の公園の麓から三層に住宅が並んでいた。
麓から二層目には丘を巻く様に緩やかなカーブを描いて道が伸びる。
狭い道に沿って小さな堰も流れていた。
まだ眠いのに、その道を父と散歩した。
堰の水嵩が増している時は注意することや喧嘩してもいいが、
仲直りも良いものだなどと教えられた。
散歩の折り返しの場所は決まっていた。
一番下の家の庭から伸びている山椒の木がある所。
屋根ほどの高さで、二層目の道からは、たやすく木の上まで手が届く。
そっと片手に摘んで家に帰る。
母の朝食の支度が整う頃
すり鉢の力強い音がする。
豆腐やご飯にすり込んだ山椒味噌が食卓に運ばれる。
父と母は、頷き合い「いい香りだ」と言っていた。
小学生と幼稚園の兄妹にとっては、ちょっと苦く癖のある香り。
目玉焼きと納豆を食べつつ、ご飯で飲み込んだ。
大人になると山椒の風味は懐かしく、とても好きな香りになった。
こんなに香りが立ち風味がいい山椒がトラウマにならなくて良かった。
「できたよ」
ちりめん山椒と山椒味噌の冷奴が並ぶ。
テーブルを囲んだ三人、ご飯がすすんで止まらない。
作り手が、
「自画自賛だけれど美味しくできた。大人の味だな」と言った。
噛みしめながら深く、何度も頷いた。