<音楽が出ます、音量に注意>
東日本大震災、熊本の大地震など、そして今度は西日本は広範囲で洪水
激甚災害が続く日本。
日本全国傷だらけ、こんな時、さっぱり政府の顔が見えない。
被災した方には、これ以上の災いのないことを祈ります。
6月下旬のある日のこと小雨降る中、釜石や大槌へ
釜石での約束の時間が伸び、時間ができたので、大槌まで行ってみた。
<東日本大震災で被災した大槌町役場庁舎、沢山の命が消えてしまった>
今、賛否のある解体工事が始まったが、一時中止している。
新聞によると解体撤去する方針だそうだ。
<被災前の庁舎>
東日本大震災の爪痕、亡くした家族の想いは計り知れない。
色々な意見があるのは、当たり前なんだろう。
この建物を震災遺構とすべきか、見たくないと言う意見に従って解体すべきか?
爺には、分からない。
「あなたは、どっちなの?」「どうせ当事者じゃないからね」と言われても答えられない。
ただ、見てきたた、被災前、被災後そして今と。
一億二千万の震災があり、それぞれの想いがある。
直接、被災した人達は勿論のこと。
被災地から遠く離れた鹿児島に行った時、
九州新幹線の開通の本当に直前で色々なイベントが出来なかったと聞いた。
<6月下旬に見た旧庁舎>
大槌は、南部鼻曲がり鮭、スキ昆布の発祥の地、海苔で羽織を作ってちぎりながら酒を呑んだという前川善兵衛、
そして、この間、テレビで全国に紹介された「磯ラーメン」発祥の地で売り出している。
色々な取り組みも始まっているようだ。
さて、釜石に戻ったが、まだ少し時間があった。
釜石鉱山の方に行ってみた帰り、洞泉というあたりを過ぎ、
少し行くと突然視界に入った路肩にシルバーグレイの二つの塊。
ブレーキを踏んだ。
少し後ろに見えるのは、二匹の猿だった。
<残念ながら、見にくいですがこちらを視ています>
静かに車を降りると眼があった。
「なに、こっちに来るの!」
そっとスマホを構え、急ぎ写真モードに、
「ほんとに、こっち来るの?」
構えると同時に跳ねた。
木立に隠れると交互に手を伸ばし、こちらの様子を見ながら少しずつ森の中へ。
とても人間ぽい。
しばらくその場に釘付け。
近頃、特に今年になって、ますます動物と人間が接する情報が多い気がする。
釜石の街での用事が済んで、鵜住居によってみた。
来年の秋に開催されるワールドカップに向けて建設中の競技場を見たかった。
メインの観客席の姿を現し、ギリギリまで近寄るとグランドには芝が敷き詰められていた。
小雨の中、濃い緑が浮き上がり綺麗だった。
結局、釜石ラーメンのお目当ての「新華園」は休みだった。
予定より遅くなった帰り道は北へ向い、宮古から盛岡へ。
その日は盛岡から釜石、鵜住居、大槌を行ったり来たりして宮古を経て盛岡に戻った。
途中、山田の街に寄ってみた。
でも、役場は分かるが位置関係がしっくりこない。
夕飯は、宮古の駅前の「蛇の目寿司本店」
海鮮チラシの大迫力
これでもかと魚介が盛り上がり、なかなか寿司めしが顔を出さない。
品数の多さと言ったら半端ない。
マンボウもあった。
とても美味しかった。
被災地の爪痕はあちこちに残っているが新しい建物も碁盤の目の上に建っていた。
うず高く盛土し、被災前の街も土に埋もれた。
復旧事業だけではなく開発などでにおいても、碁盤の目で広い道路に整備する。
そして、ロードサイドの合理的で効率的な建物。
否定はしない。
ただ、昔、街に確かにあった狭い路地に聞こえた笑い声。
出来たら、そんな界隈性を見てみたい。
土盛りされた区画に立派な道路、沿岸の町の鳥観図が狂ってしまった。
とっぷりと暮れた帰り道に想ったのは 「復興って何だろう」
でも、正直に言うと峠を越え、盛岡の灯りが見えてくると色んな想いは片隅に。
大槌では、移り住んだ人や長く留まる人、
そして一度故郷から離れた人を「旅の人」と言うと聞いたことがあるが、
まだ私は、正確な意味すら知らない。