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4月中旬、
岩手山の残雪を眺めながら、
小岩井農場へ。
<山麓館の焼き野菜の彩り>
盛岡の街から、
国道46号を通り30分もあれば小岩井。
「遠回りして行こうよ、岩手山を近くで見たい」
なるほど、
残雪の岩手山の眺めを楽しんでから小岩井へ。
霞んだ青空を背景にしても、
残雪の岩手山は、美しい。
「この頃って、山が大きく見えると思わない?」
なるほど。
小岩井へ
「どのくらいの広さなの?」
えーとね、ネットでは・・・・
「岩手山の麓に、拡がる東京ドーム約640個相当って言われても、わかんない」
確かにね、
とにかく広い。
小 野義眞(日本鉄道会社副社長)
岩 崎彌之助(三菱)
井 上勝(鉄道庁長官)
の創設者の三人で小岩井農場
極度に痩せた酸性土壌を豊かな牧場に造りあげた。
土壌の改良、防雪林の育樹など長年に渡り、
費やした時間とエネルギー。
未来を夢見て、小岩井マンは、努力を重ねた。
日々の苦労は、様々な緑化技術をもたらした。
酪農、乳製品、観光など、小岩井ブランドばかりが目につくが、
「土と緑」との歴史が根底にある。
宮沢賢治は、鞍掛山、七ツ森、小岩井農場と
岩手山の麓を舞台に描いている。
たぶん、賢治は、欧州的な景観の外に、小岩井の土壌改良、緑化技術に
も心を奪われたのだろう?
そんな想いで、歩くと
小岩井の風景に、一層、奥行きが出る
賢治は、農学校時代に岩手山登山をしている。
朝、花巻を出て、夜に登ると聞いた。
御来光を拝し、
麓に拡がる小岩井を目指して降りて来たのだろう。
だいぶ前に、小岩井の人達と仕事をした事がある。
国内外から集まる医学系のコンベンション。
東屋での焼肉と岩手の勇壮な鬼剣舞を企画すると、
篝火をセットし、羊の半身の丸焼きも数時間かけて用意してくれた。
勇壮な踊りの鬼剣舞は、篝火に照らされ幻想的で、
海外の参加者の青い瞳も輝いたのは、言うまでもない。
篝火が似合うのは、当たり前、
昔の照明は、篝火。
今日は山麓館で遅めのランチ。
「カップルさん達も楽しそうね、平日でも、結構、混んでる」
一応、僕らもカップルだが・・・
「美味しい。肉を食べている、いい感じで、御飯がすすむわ」
とニコニコと箸を動かしている。
いい顔をする人だ。
最近、小岩井の殆どの建物が国の重要文化財になった。
修理しながら大切に使われている多くの建物には、
明治からの歴史が刻まれている。
「今度、行ってみましょ!建物巡りのツアーがあるみたいよ」
明治の頃、
厳寒の岩手山麓で先人たちは知恵を出し合い、土を変えた。
その苦労を想像も出来ない自分。
ただ、美しい風景を眺めている。
小岩井の春は、まだ、ほんの第一楽章。
一本桜も、後、もう少し。
明治の頃からの建物をじっくり見に行ってみようか。
賢治の足跡も辿りながら。
この人と一緒に回れば、楽しく、
元気でいられそう。