「Hちゃん~、Yちゃん~」
陽が落ちて暗闇の向こうから、大人達の声。狼の群れの遠吠えの様に聞こえた。
段々、近くになって聴き慣れた声がする。
薄暗い街灯に照らされた母の顔を見てHちゃんは、駆け寄った。
Yちゃん・・・・その後をゆっくりと歩く。
Hちゃん・・・・彼の母の腕に抱き込まれる。
Yちゃん・・・・母の怒りを押し殺した作り笑いを見た。溜息が闇に溶けた。
一関の街を流れる磐井川。
堤防で夢中で遊び、気づいた時には陽は沈み、とっぷりと暮れていた。
暗がりを慌てた二人の帰り道。
そう、NSPの歌っていた堤防。
あの時、この道の方から呼ぶ声がした。
「Hちゃん~、Yちゃん~」
心配した二人の親と近所の人達。7、8人ほどが大勢に見えた。
釣山という丘の麓に沿う細い道を川に向かって捜しに来たのだ。
案の定、家に帰ると腹ペコなのに、延々と叱られる。
「もう、二人では遊んではだめ!」
かなりの心配性の母から出た言葉に一瞬、睨み返した。
僕は、小学1年。Hちゃんは、6年生。
大人達の心配は、普通じゃない。
それは、Hちゃんが小児麻痺で言葉が伝わりにくかったし、片方の足、片手も彼の思いどおりに動かなかった。
二人は、暗くなっても帰らない。
危険な道ではないが、闇と川が彼の母親の不安を煽っても仕方ない。
二人で遊んだ釣山公園。
メンコを岩手県南では、パッタと言いう。
彼のピカピカで大きなメンコが眩しくてあの手この手を考える。片方が小さな石コロに乗っかる。「しめた!」その隙間をめがけ、一撃の疾風。
ひっくり返る事もある。
してやったりと新しいパッタを手に取ると彼は、本気で怒りだし、腕ずくで取り返しにくる。
もみ合う。僕は、年齢に比して大きかったが、もうすぐ中学生には歯が立たない。
しかし、ルールは、二人の間で出来るもの。
バッタを拾い、土を払って渡すと満面の笑み。僕を片手で強く抱いては、頭を撫でる。
そして、また、始めるが次からは掴み合う事は無い。
彼は、中学2年の春、突然、千葉県に引越した。
日々、成長するHちゃんに専門の教育を受けさせたいと母親の強い願いがあり、急に入れる事になったらしい。
別れの言葉も無いまま、あっという間に引越した。
その後、僕の方も中学2年生の時、父親の転勤について行く事にした。友達との別れは、辛かったが、中学校での自分の姿が嫌で違う世界に行ってみたかった。
そして僕は、高校生。
お盆に一関を訪れ、従兄たちと懐かしい釣山に行ってみる事になった。その時、住んでいた家の隣の人達と会った。
丁度、その年の桜の咲く頃、すっかり大人びた姿のHちゃんが訪ねて来たという。
そこには別の一家が住んでいた。
「Yちゃんは?」と何度も言い、文字でも書いたと目を潤ませて話す。
「もう、引越して、ずっと遠くに行った」 そう説明すると、
眼を真っ赤にして、ひくひくと身体を震わせ、しばらく泣きじゃくっていたそうだ。
よく遊んだ、磐井川の堤防。
今、堤防の大規模な改修工事が始まっている。
春は川の両側の長い桜の帯と釣山の丘全体の桜色。
秋には、燃える様な紅葉。夏は川の浅瀬で水遊び。堤防の芝を走り、寝転がった。
小学1年生の遠足もこの場所だった。
上流に桜の木が、ほんの少しだけ残っていた。
Hちゃんは、どう生きて、今頃、どうしているのだろう。
きっと時々、釣山を訪れては僕が見ている光景を眺めて少し、Yちゃんを想い出す。
そう思う。
二人の間には大人達の知らない、眼で分かり合う世界が確かにあった。
帰りに買った「磐井焼」
あの頃からあったのかは分からない。
たっぷりの小豆とバターの風味の「磐井焼」
そうそう、芝に座っているとHちゃんがポケットから拳を出し、僕の横腹をグイグイとつつく。
開いた掌に、見た事のない高級なお菓子。口に入れて眼を丸くすると大きな身振りで頷き、身体全部で微笑みを返す。
美味しかった事は、青い空に映える堤防の桜と共に鮮明に残っている。
「どうしたの、ぼんやりして?」
「うん、なんでもない」
「ふぅ~ん、まあいいや。ねえ、ベイシーでjazzと珈琲で温まって帰ろうよ」
「うん、いいね」
辺りは、もう真っ暗だ。
エンジンをかける。
その日の車は、Outlander。もう、この街に伯母も叔父も従兄もいない。

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