盛岡の街の真ん中を流れる中津川を渡ると紺屋町、肴町、八幡町や鉈屋町など古い街並みが残り、盛岡らしい光景が広がっている。造り酒屋があり、南部鉄器の鋳造が行われ、染物、和楽器、南部桐箪笥、提灯屋さんなどがある。また、歴史のある蕎麦屋、和菓子屋など、まだまだ山ほどある。
そんな中で、旧町名だが食いしん爺の大好きな「葺出町」がある。
北側の入口近くには、道を挟んで高層マンションが向かい合って建ち、まるで峡谷の入口みたいだ。
夕暮れ時がいい。オレンジ色の低めの街灯が風情のある青海波の石畳の舗道を照らす。
肴町のアーケードの入口近くに5段の手すり付きの階段を登り、少し奥くにカフェがある。
「六分儀」だ。
かれこれ十年ぶりぐらいに入る。
そうそう、ホットサンドを食べ、マンデリンを飲み、そこから夜の街に出かけたものだ。
勿論、十年ぶりにオーダー。
マンデリンとホットサンド「コンビーフ&チーズ」
それが、これ!
マンデリンも美味しい。心が和んでいくのが分かる。
アツアツのパンにきちっとコンビーフとチーズがサンド。変わらない美味しさだ。
ゆっくり店内を見渡す。
ん~、変わらない。
そうだ、ビュッフェのエッチング。サーカスの女シリーズ。
昔、気になっていたが、マスターと話らしい話をした記憶が無かった。
爺のこの店にある想い出を語るには、一夜で足りないかもしれない。
でも、淡い想いはいい。いくらでも、いつまでも語れる。
十年ぶりで来た勢いで、マスターに話しかけてみた。
「ビュッフェが好きなんですか?」
「はい、開店するときに、何か記念にと思ったのです。絵が好きなもので、絵にしようかと考えていたら、画廊でサーカスの女シリーズを展示していたのです。これだと思いまして・・・」
爺からすれば、当時、けっこう高かったと思う。
何せ、開店したのは、昭和四十年代後半のことだ。
実は、爺も好きなのです。「サーカスの女」のシリーズが。
もう一つ、店に流れるシャンソンのことだ。昔から、いつも控えめに店の中に流れている。
「シャンソンも好きなんですか?」
「いえ、開店したら、あるお客さんが「この店は、シャンソンが似合う」と言われたので、一月ぐらい必死に、シャンソンのレコードを集めたのが始まりなんです。」
マスターは、いつも、テーブルに水を置くと殆ど中が見えないカウンターに引き籠っていてなかなか、顔を出さない。
隣のテーブルのお客さんもマンデリンを飲んで帰って行った。
ふいに、ボーン、ボーン・・・と続けて時計が鳴った。
まだまだ現役だ。6回鳴った。
そうそう、昔から手書きなのです。いいですよね。
マスターの様に細い3階建ての1階に佇むカフェ「六分儀」
「何か、お役に立てましたか?」
ほんの30センチ四方ほどの小窓から声がする。そう、お代もこの窓から払うのだ。
「はい、もちろん、まず、癒されました。それに、マンデリンもコンビーフとチーズのホットサンドもとても美味しかったですよ。」
「そうでしたか、それは、よかった。」
と控えめなマスターの笑顔を少し屈んで小窓から覗くようにしてお礼を言った。
やはり、店の雰囲気を創るのは「人」だと思った。
5段の階段を軽快に降りようとして立ち止まった。ちょっといきなり、運動し過ぎてしまい、膝や腰や肩まで痛いのだ。
ホットサンドとマンデリンとビュッフェ、そしてマスターもいいな、と思いながら。
手摺に捕まり、一歩一歩下りて青海波に辿りついた。