暑くなったかと思えば、肌寒い日が続き今度は蒸し暑い。盛岡も地球も天候が不順。だが、今年も春から花は、次々と咲き乱れ、いつもの様に通る人を和ませてくれる。

爺は、といえば肩が腰が、それに膝も痛い。痛いというよりだるくて重い。

先日、一週間ぶりで会った一ちゃんも若いのに同じ症状を訴えている。共通しているのは、だるく眠く、横になっても首の裏や肩が辛い。キラーストレスのせいかもしれない。

色々な事にやる気は、あるのだが、いざとなると、あれもこれもしなくてはと、一気に、やらなければならないことが迫って来る。

2人で、「はあ~」と溜息。

 

そんな、うなだれ気味の帰り道、八幡界隈で凛と空に向かう立葵を見た。小さな空き地の片隅で空に向う立葵。

「今年も、一直線だなあ」と独り言を呟きながら近づく。見るからに重そうなビジネスバックを抱えた爺は、不審者か変り者みたいにみえるかも。(笑)

 

毎年、立葵を見ては恒例の儀式の様に昔のことを想い出す。

 

 

 

「花はいいね。思いを込めればこめるほど綺麗に咲いてくれる。あのね立葵の花が、てっぺんに登りつめると夏がくるの」

と花好きのお祖母ちゃんから教わったという。

話しながら意外なほど無邪気な顔になる。

しかし、話し終るとすぐいつもの顔に戻った。

「じゃあね」と言って振り返ることなく去って行った。しかし、次の夏からは、一緒に見ることはなかった。

毎年、立葵を見つけると、そばにしゃがみ込んで空を仰ぎ見る。

立葵の様に真っすぐとした背中に沿って流れる黒髪。今年も、その背中を越えて立葵は、ぐんぐん青空に伸びる。

 

 

 

 

 

毎年、盛岡八幡界隈、ちょうど盛岡劇場の裏の駐車場の片隅や車の通れない路地に咲く。

 

 

順番に花は登る。次々と蕾が膨らむ。

真夏は近い。

 

 

今度、立葵の話を疲れ気味で元気のない一ちゃんに話してあげよう。

それとも秘すれば花かな。

立葵の花言葉は2、3あったが「気高く威厳に満ちた美」というのが気に入っている。

 

 

 

しかし、八幡界隈の人々の家は敷地の区画が狭いがために、目一杯に家を建てなくてはならない。だから庭らしい庭が殆どない。

だが、この街に住む人は、ほんの少しの隙間みたいな場所に花を植え、丁寧に育てている。だから春になると、この界隈には様々な花が咲く。白から始まり、黄色や赤そして青紫など色も次々移り変わり街の片隅が鮮やかだ。

八幡の通には、坂の上と坂の下があり、その境目で可憐に咲く鈴蘭まで見た。ほんの手のひらサイズの小庭に見事に花を咲かせる。

 

立葵を見た後も色々な花を見た。

 

誰が植えているのだろう綺麗な百合の花。

 

 

紫陽花の青紫は美しい。

 

 

そして立葵の花が頂上で咲くころ、通りのあちこちに咲く向日葵が街の主役になる。