まだ、実家から通勤していた頃、父親がある牧場から一匹の子犬をもらってきた。

ポーターコリーで、まだ片手で軽々と持てた。三月の岩手は、春と言っても朝晩の気温が一桁にまで下がる。急遽段ボールに毛布を敷いたり、てんやわんやでその晩のご飯は殆ど深夜になってしまった。

 

持ち家になり、自由にペットも飼える様になり、父は、誰より楽しそうだった。家族総出で大切に育てられたボーダーコリーは、すくすくと成長した。

いい名前が思いつかないまま、数カ月が過ぎ、結局「コリーちゃん」になってしまった。

散歩は、奪い合う様にして近くの広場で思い切り走る。

 

ある日のこと、幼稚園児ぐらいの子供が二人が対面するタイプのブランコに乗っているとコリーちゃんは、突如として駆け出し、ズボンを咥えて二人を降ろそうとした。子供達がはしゃぎながらブランコを降りるとそばに座って得意げだった。

 

それからは、子供達や自転車が走っていると猛スピードで斜めから前に出て止めようとする。羊を追いかけるボーダーコリーの本能をみて感心と心配が重なったものだ。成犬になり自分の家を持ったが、散歩を催促して泣くこともあった。

しだいに散歩の係りは、父に偏っていった。

 

三年ほどして突然、病気を発症してしまった。色々なことも重なり急速に悪化し、あっという間に天国へ逝ってしまった。

亡くなった日の朝、

様子を見に行くと、必死で前足を動かして立ち上がろうとする。頭が持ち上がるのが精一杯だった。眼だけは、しっかりこっちを見る。

何かを訴えている様だった。とにかく起き上がろうと続ける。

「もう、起きなくて、いいから」と思っても声にならない。

しだいに体が動かなくなった。しかし、力がなくなって来た眼は、家族を探していた。

頭を撫でることしかできなかった。

その時、自分は、もう動物は飼えないだろうと思った。

 

それから三十年近く。今や盛岡食いしん爺だ。

数年前のある飲み会で、かなり酔っぱらった人が言う。

「猫、飼ってみてくださいよ~。絶対飼うなら猫ちゃん!子猫が育っていくのを見たいなあ。」

と勝手な話だと思った。

「自分で飼ったら?」

「猫は、人を癒してくれる。勝手で甘たっれなのに、可愛い。でも猫アレルギーなんです。おまけに母までアレルギー」

真剣に話すのだが、酒の席だと思って聞き流していた。

 

しばらくして新しくできたショッピングセンターを歩いていた時にペットショップの前を通った。するとその人が、しゃがみ込み、ガラスにおでこをぶつけそうになりながら、なりふり構わず猫を見ていた。子供の様な顔で笑っていた。

20分ほどして、またそこを通ると、まだしゃがんでいた。

爺は、後ろから肩越しに子猫を見ていた。

 

そんな時というのは、何か様々な事が網の目の様に繋がることがある。

 

そして、話せば長い紆余曲折があり、ついにヨチヨチ歩きの猫ちゃんがやって来たのだ。

 

 

 

 

スクスクと甘えて育ったが、時に凛々しい男の子だ。でも、すり寄って来るかと思えば、勝手にどこかの物の影からなかなか出てこない。寝たいときには、ごろり。走り回ってはご飯を食べるという具合の我儘な同居人だ。

 

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コリーちゃんの最後まで従順だった眼差しは、脳裏に焼き付いている。時々、真っすぐな眼でこちらを見る時、その悲し気な思いすら包み込んでしまう眼差しに爺は、やれた。

まあ、猫アレルギーの人は、成長したルハン君をまだ見ていない。みることもまず無いだろうが、まるで猫そのものの人間もいる。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

近頃のルハン君は、毛替わりの様でよく抜ける。また、一つ成長するのが楽しみだ。でも男の子で良かったなあ。べったりでもなく冷たくも無く自分にとってベストの関係だ。

 

 

 

きっと彼は、一緒に居る半分くらいは、爺を気にしてくれている。私達は、世界で一つだけの関係なのだ。

 

 

 

今夜も、夜には喉を鳴らすだろう。いっぱい撫でてあげよう。

 

 

 

 

 

 

少なくとも彼が来てから一年半の間に、何度か眠れない夜を癒してもらっている。

生きてきて色々な事を心に抑え込む術は手に入れたものの、奥底でくすぶり続けるものを「ゴロゴロ」と「すりすり」で穏やかにしてくれるのです。