旭橋と夕顔瀬橋の間の北上川に沿う通りが、土曜の夕方に活気を帯びてくる。

5月下旬、盛岡は、材木町の「よ市」に行ってみた。人が集まって来るというより群がって来る感じだ。北と南の通の入口は、多くの人が出入りしている。

材木町の「よ市」をはじめ、まず思うのは神子田の「朝市」、八幡の「ポンポコ市」、紺屋町の「アンティーク市」などと盛岡は、今や「川と橋の街」に「市の街」だと言っていいと思う。

 

材木町に行く前に、ちょっと旭橋から、北上川沿いの遊歩道に降りて開運橋の方に歩いた。

この遊歩道は、本当に川の直ぐ傍にあり、雪解け水で流れが速く、見ていると怖いぐらいだ。旭橋のたもとから、川の流れと共に開運橋に向かうと堤防の傾斜を利用した花壇がある。パラが綺麗に咲いていた。手入れの良さがみてとれる。

このあたりから見ると開運橋の背景には高層のビルが幾何学的に連なっている。盛岡駅前も、ずいぶんと変わったものだ。

それに比べると中津川の東岸の河南の方は、あまり変わっていない様な気がする。

 

 

開運橋は、盛岡駅の正面に突き当たる。

「川と橋の街、盛岡」を象徴する様な北上川の流れと開運橋、そして川沿いの花壇の薔薇。振り返ると晴れた日には、岩手山が大きく見え盛岡の絶景の一つ。写真は、逆方向になる。

絶景は、またの機会に。

 

 

ゆっくり、遊歩道を旭橋のたもとに戻る。

 

 

花壇が市民の手で綺麗に手入れされている。

 

 

美しい薔薇。でも「棘」に注意。

 

 

こんなに綺麗に咲くのにどうして鋭い「棘」が生えているのだろう?

 

 

開運橋の方から旭橋をくぐる。まだ、遊歩道は続いている。

 

 

遊歩道から、材木町に登る。先に、一本、通りの裏の道を歩く。見事な細工の施された永祥院の門。

 

 

その門の傍らにある、酒買い地蔵。

昔、ある酒屋さんに毎晩、買いに来る物言わぬ小僧さんがおりました。貸した小さな樽を返さないのである晩、番頭さんが怒って黙っている小僧さんの頭を殴ってしまった。よろよろと帰る小僧さんを心配して店の主人が後をつけると、お堂の前で姿が見えなくなった。主人がお堂に入って驚いた。そこには小さな樽が山とあり。お地蔵さんの額に傷があった。そして鈴の音のような声がした。

「お客さんには親切にしてあげなさい」と。

悔やんだ主人は、その後、お客さんへの親切を第一に商売に励み、縁日にはお酒を供えてお祭りをした。

そういう昔話が残っており、商売の神様として毎年お祭りが行われている。

 

 

 

 

そして、「よ市」へ。

なんだか、数年前より、人が増えている様に見える。

 

 

あれ! こんにちは。ご無沙汰でしたが、とっても元気そうですね。

歩いて間もなく知り合いに会う。みんなも来ている様だ。お目当ては、「ペアレン」と言う名の地ビールかな。

 

 

材木町の「よ市」、神子田の「朝市」、八幡の「ポンポコ市」、紺屋町の「アンティーク市」などが次々に始まり、それぞれが賑わいをみせている。

 

 

あちこちに行列が。

トンカツ、珈琲、ワイン、地ビールなどなど、山菜、野菜や果物などの外に、お洒落な出店が多い。特に、夕顔瀬橋(北側)には濃い緑のパラソルが立ち並んでる。よ市という、まるでマルシェと言った方が似合いそう。

 

 

女子高校生の書道のパフォーマンスも。

 

 

あれ! さっきの3人と子供2人の一団に、また知り合いが加わっていた。まあ、ますます、姦(かしま)しい。

 

 

では、せっかくですから1枚。

明るく優しそうな、この女性達にも、あの花壇の紅やピンクの薔薇の様に、こわ~い棘が潜んでいるのかなあ~(笑) 「ある。必ずある。(影の声)」

 

 

 

こんな風に、お年寄りから若い人達や子供連れまで沢山の人が楽しんでいる。

盛岡にも、大型のショッピングセンターが、いくつもあり、とても賑わっている。でも、それとともに、売り手とお客さんが触れ合う、face to faceの「市」もどんどん賑わってきている。

ショッピングセンターが出来て行けば、いくほど「市」も賑わいを見せている様な気がする。

川に架かる橋を行き交い、そして市で触れ合う。

盛岡は、庶民文化の盛んな、「いい街」なのだとつくづく思う。

 

「We Lоve 盛岡! おいでよ新幹線で、函館に行く前に・ちょっとより道 盛岡!」

と言いたくなるのです。