ここ十年ちかく、東屋本店に入ると2階に直行だった。
始まりの時間の間際に来て宴会に参加するというワンパターン。
本店のランチの時間は「わんこそば」の観光客と近辺のビジネスマンなどで賑わう。
東京に何度か行き、盛岡の食文化をあらためて味わうことに決めた。そこで久し振りの葺
出町の東家本店に向かった。葺出町の通りは南が国道106号線までで真向かいに肴町
ホットラインの入口があり、紺屋町の通りの一本東側に位置している。
とても綺麗な路地で爺は、特に夕暮れ時が気に入っている。
南側から入って来るとすぐ鋭角に曲がる。そこの両側に背の高いマンションがそびえて
おり、まるで峡谷にでも入り込む様な感じだ。
今夜は肴町側から入った。
小粋な下町情緒を上手くモダンにした路地は素敵だ。また、青海波の石畳風の路面と街
灯もいい雰囲気だ。これだけでも歩きたくなる。
すぐに八百屋さん、魚屋さんがある。その先に「東家本店」がある。
明治の創業。どう見ても老舗だ。
暮れた葺出町の通り。
冬は、小さな灯り。春から秋は可愛い花が飾られる。盛岡は、ハンギングバスケット
の街。
(※ この写メは冬に撮ったもの)
青海波をデザインした舗道が街灯に照らされ、丁度いい明るさに映える。
可愛い花もいいが、冬の灯りも見とれるほど綺麗だ。
この階段を上がり、宴席にまっしぐらだった。
以前、1階は座敷だった。
店の奥の一角は、まるで画廊の様になっていた。
しばらく眺めてしまった。
ギャラリー「東家」だ。
著名人のサインも、このとおり並んでいる。
爺が、店に入り、まず気になる床も落ち着いた感じだ。
一緒に来た方は、初めての東家本店。頼んだのは、細打ちの天ざるそば。
「大ぶりの蕎麦猪口がいいネ。それにしても素敵なお店ですね。外の構えから想像で
きなかった・・・・」
と蕎麦がきて、その人は話も途中で箸を割って肩から身をのり出した。
蕎麦を少しもらいました。
海老の尻尾まで美味しそうに揚っている。
「美味しい、美味しい」
と向かいの席では、盛岡のグルメを味わい、オオハシャギ。良かった。
爺は、カツ丼。以前、近くで働いていた頃、よくランチで来ては必ずといっていいほど
カツ丼を食べた。これを食べたくなると来ていた。
向かいから覗き込む様にして
「美味しそうですね~端っこでいいですから、味見させてください」
ときた。
爺は真ん中の厚い一切れを上げた。
「次にはカツ丼にします。」
といい笑顔。しかし、端っこは爺の楽しみなのだ。そこは譲れない。(笑)
このカツ丼は、味は勿論のことだが、見た目がとても美しい。店のセンスが光る。
今も昔も東家と言えば「わんこそば」だ。しかし、ここしばらくは宴会で来ていたし、カツ
丼を食べていたからなのか、爺には料理屋的なイメージの方が強い。
葺出町の本店の隣にダイニングバーの「九十九草」があり、その並びに「東家別館」が
ある。「九十九草」は、東家の創業99年を記念して10年ほど前にそば屋さんとは別の
新しいタイプの店として始めたらしい。
東家の店は、葺出町の大切な景観を担っていると思う。紺屋町から葺出町を愛染横が
繋いでいる。この横丁に朝顔が咲く。この短い横丁も爺のお気に入りだ。
いかにも美味しそうなカツ丼。
爺の箸は、せわしなく動く。
お椀に入った蕎麦がいい。
カツ丼と出汁が同じなので実に合う。思い出して来た。以前は数人で来てカツ丼が
テーブルに並んだ途端、会話も中断し黙々と食べたものだ。地元ファンは多いと思う。
蕎麦猪口で蕎麦湯を飲む頃には、会話が復活するのだ。(笑)
玄関の傍にペレットストーブがあった。
優しい暖かさの、このストーブが似合う店だ。
御馳走様でした。
幸せ気分で店を出た。
青海波を歩き出すと何年か前に、九十九草に来た時のことを思い出した。オレンジ色の
灯りの影から、胸に吊るした二つのアクセサリーのぶつかる音が蘇ってきた。
その日、打合せとご飯を兼ねて行った。
爺は、腹ペコでテーブルに料理が運ばれだすと、食べることに夢中になり過ぎた。
「自分の時間もなく頑張ってる!これ以上はムリです、ムリ、ムリ!」
と言って長い髪を掻きむしる様にした。
「・・・・・」
驚いて黙って見ていた。
ほんの少し、両方の目じりが光ったと思う。
「どうせ、自分のことばっかしで、人の都合なんて考えてない! 別に、いいんだけど」
「・・・・・・・・・・・・」
静かに、ご飯を食べて解散した。
黙っていたのは、以前にも似たようなことがあったが、その人は翌日、何事も無かったか
のように明るく登場した。爺には、多少気まずさを引きずった方が自然だと思った。
その、仕事は、ほんの少し力が抜けてしまい自分を責めたものだった。
爺は思う。
何があっても、たいていのことでは動揺しない世代がいい。青春時代の、あの一言で眠
れない夜を過ごす時代は、もうまっぴらだ。
そんなことがあって、流石に初めての九十九草だったが、美味しいと思って食べていた
記憶はあるが、途中から、味のちゃんとした記憶がない。
ちかいうちに、あらためて食べに来なくてはと思う。
東家の東側の裏。盛岡バスセンターの並びのパーキングに車を止めていた。
消えてしまうバスセンターと道路向かいの高層マンションの灯。
葺出町、紺屋町の外に肴町、八幡界隈そして鉈屋町と河南の一帯が盛岡の文化の
重要な遺産だと思う。南部藩時代からの江戸から明治、大正、昭和の面影が残ってい
る貴重な界隈だ。
4月から何度も東京の人形町、神楽坂、浅草、上野界隈を歩き、丸の内、新橋、銀座
を歩き回った。江戸の下町情緒と超高層が違和感なく見えて不思議だと思った。
昭和レトロなバスセンター自体は残ってほしいと勝手に思っているが、その背景に
高層マンションがそびえていても、それはそれで美しい絵として目に映る様になって
きたなあ~
さあ、また、この古い街でグルメを再発見だ。