盛岡方面から仙岩トンネルを抜け、さらに幾つものトンネルを走る。
湖山トンネルを抜けるとすぐ、「峠の茶屋」だ。
「盛岡から田沢湖、角館、秋田市などの方面に行くときのお休み処が消える?」との情報を聞き、
爺は、ひた走った。
水曜日に来たら、定休日だったのを忘れていた。
「がっくり」、その日のことは後で・・・・・
丁度お昼時。 「峠の茶屋」に着くと駐車場は、ほぼ満車状態だった。
なんとか止めることができた。
早速、見晴らしの良い窓の席に。少し前から谷を臨む様に窓にテーブルがくっついて並んでいる。
秋田新幹線の「こまち号」が谷底を走るのが見えるのです。
実は、高所恐怖症なのだが、ここは何とか・・・・・
早速、食券を買った。
「おでん」と「中華そば」爺は、たいてい、この不動のメニューだ。
まず、来ました。
「ザ・おでん」
始めに、大根から。よくまあ~ こんなに染み込んだものです。
次に、こんにゃく~ ぷりぷりです。
そして、これまた爺の好きな玉子。
店の人に聞いてみた。
「あの、四月半ばで閉めてしまうと聞いたのですが?」
「はい、そうなんです。四月十二日までです」
「もちろん差し支えない範囲で結構なんですが、また、どうして?」
「実は、主が病気で・・・・・」
「そうでしたか、ありがとうございました」
残念ながら、閉店の情報は、本当だった。
いつもと違って店の中や窓からの景色をしっかり眺めてしまう。
なんでも、あるあるのメニュー。
今まで、爺は、ほとんど見ていない。
「おまちどうさま」
来ました中華そばだ!
「残念です。味わって食べます」
「主の病気が、良くなれば、また開けますし・・・・まだ、なんとも・・・」
「あ~、そうですか」
チャーシュー!!
田沢湖にスキーをしに行くときは、爺は、ゆっくり出てくる。なので、ここで食べてから
田沢湖高原スキー場に行くのです。
午後に着きますが、駐車場はスキーセンターの直ぐそばに止めれるのです。
いつもどおり、細麺でたっぷりの量です。
旨い!! 美味しい!!
この、あっさり系のスープ!!
「中華そば」も「おでん」も終盤。
猛スピードで食べてしまいました。
大根は、飴色で美しい。
盛岡から秋田方面へのドライブにあるいは、その逆でも「峠の茶屋」は、行き交う人をホッと
させてくれ、「美味しいの笑顔」でまた出発。
食いしん爺にとって 「盛岡と秋田を繋ぐグルメ、おでんと中華そば」なのです。
主さんは、もともと病を患ってたらしい。
頑張って治して、また、営業して欲しい!!
なんか、祈らずにいられない。
「おばあちゃんは、元気ですか?」
「はい、元気ですよ。ディサービスに行ってます」
乳頭温泉の帰りなどは、いつもギリギリで食べ終わる頃には、入り口のカーテンが
閉まっている。
帰り、おばあちゃんが、カーテンの片方を開けてくれる。
時々、マッチなんかももらった。
「きをつけてね」
と見送られるのが恒例だった。
花巻マルカンデパート、盛岡バスセンターなどのショックから、またまた、
「昭和」が「グルメ」が消える。
そもそも、ここのカラシは、ツ~ンとよく効くのだが、
しかし、今日は、なにやら格別に爺の両眼にジ~ンとカラシが効く。
ここから、秋田新幹線こまちを見るのが好きな人がいたなあ~
「もうすぐ、来るよ。見てから帰ろうね」
懐かしいなあ~
まだ、カラシが効いている。
また、この食券が昭和。
昭和41年、旧国道沿いに開店。
昭和52年に現在の場所に。
昔は、この街道は重要な道だったらしい。南部藩の産物は、秋田から北前船に積み込んだり
していて、雫石などは宿場町としてたいそう栄えたのだそうだ。
明治維新後、全国の経済の活性化を目指して道路網も整備されていく。
何せ、あの「大久保利通」が人力車で通りその際に、「仙岩峠」と名付けたということだ。
秋田自動車道の時代になって国道46号線の通行量も減っただろうが、爺にとっては
「スキーの道」と「角館の花見の道」 そして「田沢湖、乳頭温泉への道」なのだ。
その度に行きか、帰りに「おでんと中華」なのだ。
100回は、かるく越えているだろう。
爺の大切な「昭和 グルメ」の再会を祈ります。
あれ、店先に、こんなのもあったのか、今日気がついた。
昭和の雰囲気そのままだなあ~
たいそう、お世話になった男子トイレの窓からの絶景(笑)
真空パックの「おでん」も完売の札が置いてありまた。
訪れる人が皆淋しがっているそうです。
やっぱり、もう一回、食べに来ようかなあ~
食いしん爺の眼がキラり!