結局2週間、ロバートの実家に”飼われて”いた。
ロバートの親友、フォルカがチューリンゲンから帰ってきていて、毎晩のように二人で打ち込みに没頭。
10時を過ぎてから友達が集まってきて、地下室で朝7時くらいまで過ごす日々が毎晩続いた。
あたしは打ち込みに興味ないし、みんなの話すドイツ語にもついていけない。
マリファナを吸うわけでもないから、一人黙ってただ存在しているだけ。
ときどきロバートからいい子いい子ってされて、ほんとにペットだった。
いたたまれなくて、眠くないときでも2時には一人ベットへ退散。
朝方ロバートが寝に来るのと入れ違いに起きる、というすれ違い生活だった。
ミュンヘンについた日、記録的な大雪が降った。
ミュンヘン行きの列車に乗っているときから本格的に降り始め、一晩たってもまだ降り続いた。
いつものようにあたしが先に寝て、朝の5時にロバートから「雪を見ないか」って起こされた。
二人で完全装備をして朝のOttobrrunを散歩した。
下手すると2メートルは積もっているかも、というくらい、見たこともないくらいの大雪だった。
屋根にも車にも、細い鉄柵の先端にまでこんもりと雪が積もっている光景はほんとうにkrass!(ありえない)
早朝で人ひとりいない。
誰からもまだ踏まれていない、まったくの新鮮な雪に足跡を付けて進むのはなにか感動的だった。
一面雪に覆われた真っ白な世界は、普段の人の生活を完全に覆って、まるでファンタジーの世界にいるみたいだった。
まさに雪に”おぼれそう”になりながら一時間くらい散歩した。
立ちしょんしたり、雪合戦したり、まったくロマンチックではなかったけど、日常から切り離された特別な時間が楽しかった。
今思うと現実の出来事だったのか分からなくなるくらい、幻想的で美しい体験だった。
この雪の散歩のほかに、スーパーに二回とミュンヘン市内に一回”デート”したくらいで、あとは一歩も家の外を出なかった。
ロバートが起きてくるまで、軟禁状態。
たまらなくなって何度か庭から脱走した。
一度ロバートが寝ている間に置手紙をして、忘れ物をとりに家に帰った。
毎日毎日、ご飯を作ってエッチするだけしかできない自分の存在の軽さに耐え切れなくなって、一人になりたかった。
超個性的な人々と毎日を過ごして、自分のいる意味が分からなくなっていた。
再びOttobrrunのロバート家について、ドアを開けてくれたときのロバートの顔が忘れられない。
驚きと安堵でちょっと混乱した表情。
「なにやってんの、おまえ!」
って抱きしめられた。
思っていたよりかなり心配してくれていたみたいで驚いた。
「何度も電話したのに出ないから、拉致されたかと思った!」
だって。
ちょうど携帯をどこかに放置して、連絡も取れなったからよけいに心配したみたい。
いろんな友達にあたしのことを相談したみたいで、かなり取り乱していたのを知った。
「なんかお前を好きになった。ケルンに行ったらどうしよう。お金は関係ないから、いっぱい会おう。」
って言ってくれたことにびっくりして信じられなかったけど、すごくうれしかった。
ロバート自身分かっていないと思うけど、何であたしなんだろう?
前と何が違うんだろう?
アンディーが親戚のいるギリシャへ旅立ち、フォルカがテストのためにチューリンゲンに戻った。
みんながミュンヘンを去って、デカダントな生活が終わりを告げた日、初めてロバートと二人きりで語り合った。
そして初めて本当のロバートを知った。
ロバートが自分のことをextrem,extremと言っていた意味がようやく理解できた。
それは彼が、常に人の何倍もの量のことを、何倍ものスピードで考えているから。
医学的に~症候群と位置づけられている子供として生まれ、生まれつきものすごいエネルギーと才能を持っている。
ロバートの手がいつも熱いのも、エネルギーがあふれている現われだという。
ロバートの場合、「考える」ことによってそのエネルギーを発散させなくてはならないらしい。
何を考えているかというと、哲学的、社会学的な思想。
常に批判的精神で社会批評を展開しているという。
ロバートは普通一般の人々を「さわやか」、自分を「変」と定義して区別している。
彼の話を聞いて、その考えも無理がないと思った。
普通の人と能力がぜんぜん違う。
「さわやか」な人たちが、みんなと同じように、言われたように、何の疑問も持たずに毎日同じことを繰り返している一方で、彼は常に独自の感性から、常に違うこと、新しいことに没頭している。
だから法学部にもかかわらず、全然勉強しない。
しかしテストには合格する。
それは集中力と能率が信じられないほど優れているから。
普通の人が8週間かけて準備して、ちょっといい点をとるところを、ロバートの場合、1,2週間の準備で、いい点をとらないにしてもとにかく合格する。
普通の人が考えてからものを言うのに対して、彼は人の話しているうちからすでに自分の論理を発展させていくことができる。
だからいつ意見を求められても、即座に完璧に答えることができる。
彼の理論の一部を垣間見ただけでも、そのアイディアの独自性、緻密な理論構成に圧倒させられた。
決して独りよがりに陥らず、視野が広くてバランスが取れているからまったく隙がない。
それは他人や物事を批判的に見るのと同時に、常に自分自身も疑っているから。
たとえばextremに考えることによって必ず偏見が入ること、思考がバッファオーバーフローしてたまに人の話を聞き漏らすことがある、という欠点もちゃんとわきまえている。
彼の見解では、人間の50%は生まれつきの性質、もう50%は環境から成り立つという。
特に彼と同じ症候群に属する子供にとって、環境がその才能を伸ばし成功するか、抑圧されたままおかしくなるかを決定するので、大きな意味を持つらしい。
不幸にしてロバートは自然化科学が発展し、重視されるミュンヘンに生まれた。
とくにOttobrrunは自然科学を専攻したアカデミカーが多く住む、保守的で固い地域。
ロバートの持つGeistwissenschaftlich(精神学的)才能は理解されにくかった。
子供のころからロバートは理解とサポートを得られず、一人考えることによってしか、そのエネルギーを発散するすべがなかった。
ロバートが、北へ、ケルンへ行く意味がようやく分かった。
理解者に出会い、自分の才能を解き放つため。
これ以上バイエルンにいたら、やがて壊れてしまう。
内側からあふれ出るエネルギーを、どういう形でかたちにすべきか彼自身にも分かっていない。
それを知るためにも、Kunstler(芸術家)に出会うことが必要だと考えている。
おそらく哲学書をあらわすとか作家になるのがいいのかもしれない。
新のロバートを知って、衝撃を受けた。
こんな人間が本当にいるんだ。
これがいわゆる天才。
矢印の方向が違う。
あたしは今まで、すでに完成されている学問を、芸術を、何の疑問も持たずに受け取っていた。
でも彼は、何もないところから生み出すことができる人。
思い当たることがあった。
ロバートはへんな日本語をいっぱい知っていて、どう考えても日常会話で出てくるものじゃない。
ロバートは日本語の本を読まないし、どこでそんな言葉を知ったのかと聞いたら
「自分で調べた」
って言う。
でもドイツ語にもないような表現だったりするので不思議に思ったけど、特に追求しなかった。
でも今意味が分かった。
あたしが外国語に出会って、その意味を調べるのと逆のことをしている。
まず概念があって、そこに言葉を当てはめる。
だからこそたまに変な日本語になっているけど、それは新しく言葉を生み出すのと同じこと。
普通の人が一次元で考えていることを、ロバートは二次元、三次元で考えている。
「どう思う?」
って聞かれて何も答えることができなかった。
あたしは普通の人間だから、理解して、考える時間が必要だから。
でもたとえ時間がたってもやっぱり答えることができない。
それは彼の理論に反論する隙も、付け加える余地もないから。
圧倒されるだけ。
だからこそなんであたしでいいんだろう?
「お互いを成長させる恋愛」が理想的だというけど、レベルが違いすぎてまったく彼の思想の役に立たない。
今まで以上に自信を失った。
「お前はさわやかでもないけど変でもない」
って言われてじゃあ中立的なのかな、って言ったら
「違う、お前は単純なだけ」
だって。
たしかに単純以外の何者でもない。
でもどうして自分がこんなに単純なのか分からない。
物事を批判的に見ることがどうしてもできない。
肯定的に受け止めることのほうが大事ってずっと思ってきたけど、それもどうしてか分からない。
批判的に見れば、現状に甘んじることなく、常に改善、前進ができるのかもしれない。
でもそれってしんどい生き方。
あたしのように単純で能天気な生き方は、社会に何にも貢献しないかもしれないけど少なくとも自分は幸せでいられる。
どっちがいいのか分からない。