参拝日 2024年4月23日(火)

 

半田市亀崎方面(半田市の北東)に行き、雨が心配でしたが、下記のお寺・神社にお詣りにいきました。

 

①海潮院(知多四国54番)

②神前神社

③東光寺(知多四国番外)

④浄顕寺

 

ひとつずつ書いていこうと思います。

 

11番札所 安徳寺の近くに54番札所 曹洞宗の海潮院があります。札番が飛んでいますが、下記の理由に依ります。

 

もともと54番札所は、美浜町の龍松院であったのですが、明治の廃仏毀釈で廃院となってしまい、大師像を内海の慈光寺を経て海潮院に安置したことから、海潮院が54番札所に承認されたそうです。

 

大師像の所有をめぐっては、慈光寺と海潮院とで明治時代に裁判にまで発展しているようですが、ここでは仔細を省きます。

 

こんなこともあるんですね。「半田のお寺」(半田市仏教会)という本に詳しく書かれています。

 

 

創建当時は、海長庵と称していましたが、江戸時代の初めに海潮院と改称したとのことです。

 

亀崎城主となった稲生政勝がこのお寺を菩提寺にしたのですが、その法名の「海潮院政勝居士」より寺名を変更したそうです。

 

お寺の目の前が海で、潮の香りがするので、「海潮院」という名はふさわしいと思います。

 

 

さて、江戸時代に本末制度が導入され、海潮院は、現東浦町緒川にある水野家菩提寺の乾坤院の小末寺になってしまいました。

 

小末寺は、葬儀を行えず、葬儀の際は乾坤院から僧侶を呼んで行ったため、お布施は乾坤院に持っていかれ、貧乏であったようです。

 

しかし、明治以降はこの制度は変わり、小末寺は独立して、立派なお寺になったとのことです。

 

 

前置きが長くなりました。

 

国道から入ると正面に本堂があります。

 

 

亀崎十景に海潮院の鐘が指定されているようです。

 

昔は今のように騒音はなく、遠くまで鐘が鳴り響いたものと思います。

 

亀崎十景は、ふるさとを大切にしようとする感じがしてよいですね。

 

 

本堂の前には賓頭盧尊者様がおられるので、眼の具合がよくなるようお詣りしました。

 

かなりひび割れており、時代を感じます。

 

 

弘法堂です。中央に弘法様、右に十王冥官がおられます。

 

 

お堂の手前には立派な五鈷杵。

 

「この五鈷杵は、お大師様の御手と結ばれています」と書かれています。

 

今思うとこの五鈷杵を撫でるとご利益があったのかなあ?

 

 

堂の一番奥に大師さま。写真では小さくて見えませんね。

 

 

向かって左の柱には、失明者開眼の杖。

 

大正2年に加藤鉄次郎さんという方が、このお寺の大師様の前で失明していた両眼が突然見えるようになり、その時の杖だそうです。

 

 

弘法堂の向かって右は、十王冥官です。

 

人は死んだ後に中陰と呼ばれる存在となり、10人の裁判を受ける、という思想です。

 

 

正面から写真は撮せなかったため、横から写しました。

 

上から2段目の赤い顔をされているのが閻魔様です。

 

 

境内内には金毘羅権現堂があります。

 

中央に金毘羅権現、向かって左に秋葉三尺大権現、右に豊川稲荷大明神。神仏習合の歴史でしょうか。

 


境内にはつつじが見事に咲いていました。この季節はお寺参りがうれしくなります。

 

 

最後に御朱印です。

 

 

 

【参考文献】

 

「決定版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎、改定版2013年)

 

「半田のお寺」(半田市仏教会、1982年)

 

「広報誌 ぶらっと半田第9号」(半田市観光ガイド協会、2009年) 

 

「半田十話物語5」(半田市観光ガイド協会、発行年不明) 

 

次は、神前神社について書きます。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。