参拝日 2024年3月15日(金)
この頃、雨や風の強い日が多く、外出しにくいですが、この日は穏やかな日でした。
東浦町の明徳寺に行ってきました。
前回の8番札所 傳崇院の南になりますが、傳崇院と同様に国道から入る道が狭く、車で行く場合は注意が必要です。
道が狭いのは、この辺りは古くから集落があったため、車が通るように区画整理がされていないことが原因と思います。
東浦町には、名鉄とJR武豊線の2本の鉄道が走っていますが、JR武豊線は明治19年(1886年)に開業しています。
日本で最初の鉄道が開通したのが、明治5年(新橋~横浜間)なので、JR武豊線の古さがわかると思います。
ちなみに名鉄の知多半島の太田川から成岩間の開業は、昭和6年です(名鉄HPより)。
もともとJR武豊線は人を運ぶために建設された鉄道ではなく、東京と大阪を結ぶ東海道線の建設資材を運ぶために造られています。
東海道線の建設期間を短くするために中間の愛知県からも工事をすることになり、その資材を陸上交通が弱かった時代に、海路で武豊港まで運んで、そのあとに鉄道で名古屋まで運ぶことになりました。
東海道線の建設が完了してからは、人が乗る鉄道に変わりました。
下記に明治24年の東浦町の武豊線沿線の地図をアップします。
南北に武豊線が走っており、北から緒川村、石浜村、生路(いくじ)村となっています。
前回参拝した8番札所 傳宗院 は、緒川村、
今回参拝した9番札所 明徳寺 は、石浜村、
次回参拝予定の10番札所観音寺 は、生地村 になります。
地図の黒い小さな■の集まりが集落を表します。
上記3札所は、いずれも集落の中に建っており、したがって周りの道はほぼ当時のままの幅と思われます。
さて、前置きが長くなりましたが、明徳寺についてです。
浄土宗の寺院です。曹洞宗の寺院への参拝が続いていましたが、浄土宗寺院にくるとホッとします。
曹洞宗は私には敷居が高いです。
駐車場は広く、20台ほど停められます。
お寺の由来です。
創建は、南北朝時代の終わりころで、寺名の由来は北朝の元号のようです。
山門から入って行きます。このお寺は入口がひとつなのでわかりやすいです。
門をくぐると手水舎です。
阿育王塔。2番札所の極楽寺にもありました。
ネットで調べると、阿育王とは、アショーカ王のことで、釈迦の骨を8万4千基の塔に分けて分骨したそうです。
成願大師像。
成願大師について、御朱印をいただくときにお寺の方(住職の息子さん?が対応していただいた。高校生くらい)に尋ねたら、よく知らない、とのことでした。
誰でしょうか?ネットで調べてもわかりませんでした。
立派な本堂です。
弘法堂で、お札を納め、線香・ローソクを供え、般若心経、光明真言、南無大師遍照金剛、回向の順でお参り🙏
ソテツはかなりの樹齢です。
最後に御朱印
暖かくなってきて、花も咲き始めます。
これからの参拝は楽しみです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。