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http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7491026.html


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【昭和のドタバタギャグ漫画あるある】


•なぜか必ず大金持ちの息子(令嬢)がいる。

•担任か保健室にお色気先生。

•近所の優等生がツッコミ役。

•アニメ化されるとエンディング曲は夏場、音頭になる。

•人騒がせな中国人の女の子がやって来て、居候をはじめる。

•場面が変わるとき、小動物的キャラのワンカットを挿入。

•親友の家が銭湯。

•ヒロインの出番が段々減っていく。扱いも雑になる。

•アメリカ帰りの鼻につく新キャラ登場。英語を話すくだりでフキダシが『オー、ペラペーラ』。

•映画だけ大マジメ。

•声優が死んだ。。



【バブル期のドタバタギャグ漫画あるある】

•気がつくと格闘漫画になっていた。





湖のほとりをジョギングしていたら、お腹が急に、猛烈な勢いでゴロゴロ鳴り出しました。
まったく、ぼくの黄門様は行く先々で騒動を巻き起こしてピンチに陥ってしまうのだから、
たまったものではありません。
軽くテンパってしまいましたが、道路脇のフェンスに切れ間を発見したので、
そこから森の中に入り込み、窮地を脱しようと思い立ちました。


しかしそこは、
禁断の森。

しかしそれは、
禁断の行為。

しかし、
奥へ、奥へーーーー。
もっともっと、奥へ。



こんな人気のない森の中、
少し入り込めば、もう誰にも出くわすことなどなかろうに…、
それでも、念には念を入れて。


奥へ、奥へ、、、。




何故って?


例えば仮に、自分がロックンローラーだとしたら?

何よりもプライドや生き様を重んずるロックンローラーにとって、NOGSOなど、
決してしてあってはならない恥ずべき行為なのだろうから。

あまつさえ、その姿を目撃されるなことなどあろうものなら、
それは、取りも直さずロックンロール・アイデンティティの崩壊を意味するのであって、
ピストルで頭をブチ抜かねばならなくなるだろうから。。

それがロックンローラー鉄の掟。



しかし、状況が状況でした。

そんなガチガチのロックンロール哲学に関して、
せめて前半部分にだけは目をつぶり、
かわりに後半部分を厳格化するという
"意識の改竄"を行うことにより、危機を乗り切るしかなかったのです。
即ち、”他人に目撃されないこと”こそが聖域であり至上命題であると。
逆に、それさえ守り抜ければ何をしても許されると…。


恣意的な論点のすり替えによって歪曲され、狭められた目的は、
後ろめたさを覆い隠したいがための反動から、極限に美化され、
仰々しいほどの神秘性を纏って、狂信的な目的達成意識へと共振してゆくものです。

皮肉にも、これまたイビツながら、ロックの形。
悲しいかな、ロックを棄てて、また別のところでロックに出会ってしまったのです。

グロテスクなイデオロギーにしがみつき、心を絡め取られ、
さながら原理主義者のごとく、虚飾で塗りたくられたチャチな使命感の虜となって、
どんな手段さえも正義の名の下に肯定されてしまう異形の世界へと、
ぼくは突っ走ってゆくことになってしまったのでした。

つまり、何かに取り憑かれたように、森の奥へ奥へ、深く深く、潜り込んでいったのです。



結果、遭難して野垂れ死んでも後悔しないと言わんばかりの執拗さで。

そして、この世で最も卑怯な嘘を平気でつけるくらいの酩酊ぶりで。

『俺はロックンローラーじゃない、バードウォッチャーだ、今だけは。』



ああ、ロックを志してからも、一体何度、自分を偽ってきたのだろう?

少なくとも、これまでのNOGSOの回数だけは、確実に・・・。


ただ、
そのときの自分に少しでも理性というものが残っているのなら、
ロックに対して礼儀を示すことが出来るとするのなら、

内田裕也がストーカー事件をおこしたときの謝罪会見で見せたあの姿勢で、
行為に及ぶべきだと思いました。
「ロックンロールに免じてカンベンしてほしい」と。

カン便。


或は、その行為はただ単純に、捻挫した膝を庇いたかっただけなのかもしれません。

いずれにしても、ウンコ座りなどして大切なものを失ってしまう事態だけは、
免れることが出来たと思います。

ロックンロール万歳!



・・・。


さて、
どうにか危機を脱して立ち上がり、
木々を見上げ…、

気持ちが冷静になったところで、
ふと思い出したことがありました。


この森に伝わる伝説のこと。

決して立ち入ってはならない場所があるということ。


この森の中のどこかの木に、木肌を削ってアカシックレコードが刻み込まれているというのです。

アカシックレコード
http://oshiete.goo.ne.jp/watch/entry/64a56e15220ef1494dd72d711ba048f4
「アカシックレコードには、宇宙のあらゆるすべてのことが記録されています。
その記録をどの程度読めるかは、その人の霊的な覚醒度によります。
アカシックレコードを読むためには、ほとんど覚者になっていないと読むことは出来ません。
霊能力があるくらいで読めたりはしませんので、ほとんど実用性はないと思います」

アカシックレコードというものは、
宇宙の全ての記録なのだから、気の遠くなるほど膨大な記録なのだとか、
それを読み解く知性や感性を持ち合わせていなければ何の意味もないとか、
そんな風に言われたりしているけど、

自分はそうは思いません。
むしろ全く逆なのではないかと思うのです。

昔、この伝説を教えてくれた老人が言っていました。

全ての無駄を削ぎ落とした究極のリアリティは、殺伐なくらいシンプルであると。
それこそ、木肌にほんの5~6行程度で刻み込むことが出来るほどの。
しかもそれが、一にして全、この世の全てであると。
また、限られた者しか解読できないどころか、極限にシンプル化されているがゆえに、
どんな人間でも、その記録を目にすれば、たちどころに覚醒してしまうのだと。

案外、そういうものなのかもしれません。

そして、
これまで、禁を破ってかの地に立ち入り、その記録を目撃した者が何人かいたそうですが、
以後誰も彼らを見たものはいないらしいのです。
噂によれば、木肌に刻み込まれた文字を読み、地球にアクセスしてしまったからだとか。
即ち、圧倒的叡智を与えられた瞬間、自他を隔てている壁が融解し、地球と一体化してしまったというわけなのです。

消えたのではない、目に見えるすべてのものになったのだと。
彼らは、今頭上を飛んでいる鳥かも知れないし、目の前に生い茂る木々なのかもしれないし、汗ばんだ頬を通り過ぎた風なのかもしれない。常に目の前にいるのだ、とも伝えられています。

皆、究極的にはそうなりたくて、神に祈ったり学問したりヨガをしたりロハスに生きたりするのだろうけど、なんの覚悟もなしにいきなり自分が自分でなくなることにまだ抵抗のある僕は、もしも今偶然、その削り木の文字を見てしまわないか

怖くなった。

かなり森の奥まで入り込んでいた。

誰にでも訪れる変化、とても大切で必要な変化でも、いざそのキワに立つと躊躇してしまう。
声変わりとか、就職とか、結婚とか、出産とか…、死とか。


まだまだ俗世に未練のある(というより、新しい変化を受け入れるのが怖い)自分は、
一刻も早くこの場を立ち去ろうと元来た道に向かって小走りに駆けていきました。

と、そのとき。

森の奥から、警告音のような、直接胸に突き刺さるような声が響き渡りました。
何者かの、痛切な叫び。

Keep It Green !!
Keep It Green !!
Keep It Green !!
Keep It Green !!
Keep It Green !!
Keep It Green !!
Keep It Green !!

秘密結社から抜け出す時に強要される誓いと、強い警告のような。。
或いは、止まらない環境破壊に対して、地球自身が発したメッセージだったのかも知れません。
と、いうことは、森に消えた彼らが発した言葉なのかも。。





葉っぱで拭いたケツが痛い・・・。
ひとつひとつは大きな事件だけれども、それらの因果を無理やり接ぎ合わせてシリアル化すると寧ろシリアス感を失い、茶番ストーリーと成り果てる件について。

小さなものが偉大なものとなる意味合いの「一人の人間にとっては小さな一歩だが…」という名言になぞらえて、これを逆アームストロング現象と呼ぶ。


・・・


今週の中ごろ、祖父が急逝しました。

無口で頑固で素っ気ない人だったし、ボケて半分寝たきり状態になってからは全て両親にまかせっきりだったから、突然の死がショックだったとしても、葬儀の場では白々しい感情に押し流されまいと心に決めていたのですが、20~30年ぶりに再会した御親族の方々から自分の伺い知らない生前の生き様や思い出話を聞かされると、避けていた感情とはまた別の思いがわき上がってきて、とても感慨深い気分に浸ることとなったのでした。

「人に歴史あり」とはよく言ったものですね、片田舎に住む一介の老人の人生がこんなに奥深いものだったなんて。。

90年近い生涯の合間、たった20年足らずの時間を共有しただけの自分には到底計り知ることが出来なかった、あの言葉の意味、あの所作の意味、ひいてはそれら全てひっくるめた一代記が、親族による多くの証言から、パズルのピースが少しずつ埋まっていくように明らかになってゆく感じは、まるで昔見た映画そのまんまだな、という印象を受けました。過去と現在が交互に展開し、リアルと虚構が交錯しながら、真実が少しずつ再構築されてゆくという、いわゆるクロスタイムライン式の映画を見ているような茶番めいた空想に、こうやってのうのうと浸っていられたのも、故人が天寿を全うしたからこそ。疎遠になっていた自分が白々しく泣こうものなら、ずっと傍でお世話し続けていた両親や、何より亡くなった本人に、逆に申し訳が立たないですもんね。。
それに、信仰熱心だった祖父は当然死後、極楽往生しているものだと。。。

思っていたら、どうやら嫁の胎内に入り込んでいるらしい。

…かどうかは分かりませんが、葬式から帰ってきて、やたら嫁が気持ち悪い気持ち悪い言うもんだから、調べてみたらソレですわ。
来年3月、てるよは、ははよになります。
しかし、出産時期もおあつらえ向きに祖父と同じ日の可能性があるとしたら、僕はその事実をどのように受け止めればよいのですか。。
更に更に、ちょうど同じタイミングで妹の方も2人目のハーフを宿しているらしく!

こんな出来の悪いドラマ、どっかで見たことあったな。。
こうなったら、泣いていいのか笑っていいものか怒っていいものかわかりません。もしかしたらそれら全部を足し合わせて、割らずに掛けた感じなのかも知れません。これを茶番と言わずして、一体何が茶番なのでしょうか。

ぐるぐるまわってぐるぐるまわって・・・。
私の中のDNA。
(D)大好き(N)なのに(A)愛してる。
(D)ドラマ(N)なのに(A)呆れてる。
(D)デオキシリボ(N)ニュークレイック(A)アシッド。

様々な思いが浮かんでは消え浮かんでは消えしながら、誰に頼まれたわけでもないのに、こうしてのはら家は続いてゆくのでした。