この人は嫌味を言う人

と思っている上司がいたとする。

その上司に

『今日かわいいねー( *´艸`)』


と言われたら


例えば

(今日はその辺にあった服を着てきたから正直コーディネートが決まってないのに、それを褒めるなんてなんて嫌味な奴ムキームキームキー)


と受け取ったりする。



コーディネートが決まってないとか

いろいろは自分の視点であって

人もそう思うとは限らないのに



嫌味な人と思ってるから

嫌味を言ってるに違いないと

決めつけるので

言葉の全部を

嫌味に変換しようとする。



そんなことをしてるつもりはない

と言うかもしれない。



確かにそんなこと

”しようとしてはいない”んですよ。

でも

”してる”



自分の行動は自分で決めているようだけど

思い込みや習慣で決められてしまう

ということも多いんです。



自分の世界には

自分のことが好きな人しかいない

そういうもんだ

と世界観を書き換えてみるといい。



2年くらい前にそうしました。


Facebookを見てくれる人

ブログを読んでくれる人

サービスを買ってくれる人

周りにいてくれる人



そんなにみんな暇じゃないです。

見てくれてるということは

わたしのことを好きということに他ならない。

だから

わたしの世界にいる人から

わたしはモテてます。

と言い切れる。




めっちゃ嫌いだけど

見てる。

という人

好きの反対は無関心です。

嫌いと言いつつ見てるということは

すでにわたしにエネルギーを送っているということ。ベクトルがこっち向きです。



実際はどこかにわたしのことを嫌いな人がいる

けれど

見えてなければいないのと同じ。

わたしの世界には入っていません。



それは強いとか

スルー力があるとか

精神力があるとかではなく



わたしの世界は居心地がいい

と決めているから

わたしの世界のルールに則って

悪いものを入れない

と決めているだけ。




悪口を言われた、ムカつく

と嫌いな人のことを

話題にしているということは

その人を自分の世界に招き入れてます。

だから

見えているので

自分の世界にいるんです。



自分の世界には自分のことを好きな人しかいない

という世界だとしたら

最初に出てきた

上司の言葉

『今日かわいいねー( *´艸`)』

どんな風に受け取りますか?