こんばんは
今日は3月3日桃の節句
女の子のいるご家庭では
ご馳走を作って祝う賑やかな日ですね
そんな桃の節句は父の誕生日です
空に上ってから早くも23年が経ち
思い出せる父の記憶は
笑っていたり楽しく話をしたり
穏やかなものばかりです
この記事は2年前の3月に
投稿したものです
2年前には
今もコロナウイルスが変異しながら
世界を苦しめ続けているなど
想像も出来ませんでした
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2020,3,31
決して不安を煽ろうと思っているわけではありませんが
私の経験したことを含め読んで頂けると嬉しいです
十数年前に父を「劇症型間質性肺炎」で亡くしました
仕事がら体力に自信があった父は
風邪くらいでは病院へ行くはずもなく
ゆっくりと休養すれば治るだろうくらいに
たかをくくって
止まらない咳や体重の減少などが
あったにも関わらず
自宅で市販の風邪薬を飲んでいた
いよいよ辛くなり近所の病院へ行った時には
はっきりと肺に影が確認出来て
すぐに入院設備がある病院に受診するようにと
紹介状とレントゲン写真を持たされたらしいのです
忘れもしない土曜日の午後
父から電話がありました
「風邪をこじらせて肺炎になったようだ
入院するよう言われたんだが
どこの病院がいいのか・・・」と
当時私は医療関係の仕事をしていて
少し病院事情に詳しかったのです
なので
「○○病院ならいいんじゃない?
総合病院だし、家からもさほど遠くないし
でも明日は日曜日だから月曜日に行ったら?
そんなに深刻じゃないんでしょ?」
本当にそんなに深刻には
考えていなかったのです
「うん、そんな悪くはない
じゃ、月曜日に行くかな」と
電話を切りました
月曜日に受診したその足で
入院となったと母から知らせがありました
その3日後に母から電話がありました
「先生が話をしたいからって…」
それでも私はその深刻さを
まだ分かっていなくて
「忙しくって行けないから
お母さん聞いておいて」と言うと
「そうじゃなくて…
先生が家族に来てもらって
説明をしたいからって言ってるの」
ここまで聞いてやっと
事の重大さに気が付きました
なんで?
大したことはなかったはずなのに
どういうこと?
頭の中で自分の想像し得る悪いことが
グルグルと渦巻いていました
病院に着いて
初めて病室でベッドに横たわっている父を見た時に
私はあまりのショックで後ずさりしたのを覚えています
酸素吸入され
3日前に普通に電話をしてきた父は
そこにはいませんでした
なんで?
何でこんなことになってるの?
頭が混乱して普通ではいられなかった
その後すぐに母と姉、私の3人で
先生からのお話を別室で聞きました
病名は『劇症型急性間質性肺炎』
「肺が水を含んで
重たくなったスポンジのようになっていて
手は尽くしますが症状の悪化が早い為
どれくらい回復するか
良くなったとしても酸素が必要になります」
そう伝えられました
私は質問をしました
「良くなったら酸素吸入しながらでも
自宅に帰れるんですよね」
「はい、自宅に戻っても
酸素の吸入は必要になると思います」
この部分しか覚えていないのですが
逆にここだけはしっかりと記憶していました
大変なことになるかもしれないけど
快方に向かえば家に帰れるんだ
そう信じていました
でも結局父は
家に帰ることは出来ませんでした
何故入院しているのか?
治療はしているのか?と思うほど
ただただ状態は悪くなって行きました
入院してから2週間
本人の意識があったのかどうか
呼びかけても応える体力もなく
握った手を「握り返して・・・」と
泣きながら言っても
その手に力が入ることはありませんでした
喉を切開して気管からチューブで
酸素を送っていたので
入院前に電話で話したのが
私が聞いた父の
最後の声になってしまいました
ただ唯一救いだったのは
一人ぼっちで逝かせることはなかったこと
家族みんなが傍にいられたこと
「劇症型急性間質性肺炎」は
うつる病気ではなかったので
日中は看病が出来たし
最期の時は手を握ることが出来た
でもね
コロナって家族がいても近寄ることが出来ないんです
最期だと分かったとしても
最期に手を握ってあげたくても
何ひとつ叶わない・・・
昨夜、志村けんさんのお兄さんが
インタビューを受けられていました
「近寄ることも出来ないし、お骨も拾うことが出来ない」と
話されていました
コロナウイルスは
なんて孤独な「死」をもたらすのだろう
涙ぐみながら話されていたお兄さんは
やるせない思いでいっぱいだったのではないかと思います
どれだけ家族が近くにいても
友人や知人がお別れをしたくても
看取ることが許されない・・・
こんな孤独で悲しい別れがあるなんて・・・
悲し過ぎます・・・
昨夜
小池都知事が記者会見で
「夜の繁華街に行くのを控えてほしい」
旨の話しをしていました
バーやクラブ、スナックなどは接客が近い
マスクはしない・・・
そして密閉された空間
そのような空間での
密接な会話を控えるように
特に若者は
カラオケやライブハウスの出入りを控えるようにと
街でインタビューを受けた若者が
「コロナのことは全く気にしていない
コロナより女でしょ」と
言っていたのを聞いて無性に腹が立ちました
あなたに万が一感染が分かって
一人でそうなるならそれはいい
自分の選んだことだから
(亡くなってもいいと
思っているわけではありませんよ)
でもそうした「自覚のないあなたの行動」で
運んでしまったウイルスによって
家族や友人に重篤な症状と孤独を強いて
最悪命を奪う行為になるんだと言うことです
体力のある10代、20代の方も
海外で亡くなっています
このままだと爆発的に増えて
日本もあっという間にそうなります
それを防げるのは一人一人の行動と自覚
そして思いやりしかないのです
重症化するかどうかは
年齢だけではなく体質や持病などもある
決して「自分は大丈夫」ではない
何を信じて大丈夫と思うのだろうか
その根拠の無い自信はどこから来るのだろうか
考え方を改める必要があります
父がもう駄目かもしれないと
亡くなる前日先生が仰っていました
「この状態は本人も相当辛くて
蘇生措置をしたくても出来ません
心臓と脳はしっかりしているし
最期の時にはそのまま静かに見送るのが
一番楽だと思います」
つまり心臓が止まったら
無理に蘇生はせず見送るだけと言うこと
それだけ肺の疾病は辛いのだと・・・
体力が自慢だった父が
あっという間に間質性肺炎で帰らぬ人となった
そして電話をして来た父に
すぐに病院へ行くように言わなかったことが
ずっとずっと私を苦しめて来た
自分が何の危機感も無しに家族に
友人にコロナをうつしてしまったとしたら
どれだけ後悔しても
もう時間は巻戻せないのです
後悔する前に自覚しましょう
決して自分がウイルスを拡散することの無いように
どうか不要な外出は控えましょう
人混みや密室に行かない
人と最低2メートルの間隔を開ける
どうしても人と近距離で接する時はマスクの着用
帰ったらうがい、手洗い
着ていた服の殺菌をするなど
ウイルスを家に持ち込まないこと
それしか出来ませんが
それが最大の防御です
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また新たな変異株が出てきて
オミクロン株より更に感染力が強いとか…
なかなか終わりの見えない
ウイルスとの闘いです
それでも経済を止めることは出来ません
父の誕生日に父の死を思い
手を握ってお別れが出来たこと
でも…
そんなお別れも許されないコロナに
後悔しないための自己防衛を…
最後まで読んで頂きありがとうございます
いつも感謝でいっぱいです![]()

