大親友との再会 | 脳動静脈奇形って言われちゃった

脳動静脈奇形って言われちゃった

今までただ単に頭痛持ちで貧血気味で目眩がしているだけだろうと思ってた。ところが。自宅で倒れたことをきっかけに事態は急展開。今まで1000人ぐらいしか見つかっていない、ものすごく珍しい病気だと判明しました。さて。どうするよ…。

相変わらず放置していました。申し訳ございません。

また、いろんな事がありました。嬉しいことをもう一つ。

何年も音信不通になっていた大親友がいました。彼はアメリカから仕事で日本に来ていました。私が大阪市内のマンションに住んでいたとき、彼は隣の棟に住んでいました。15年ぐらい前のことです。

マンションの近くの居酒屋で知り合い意気投合。しょっちゅう一緒に飲み歩いていました。

ケンカもしました。ケンカになると彼は英語、私は日本語。
残念ながら私の英語力ではケンカはできません。日本語で怒鳴るだけ。

当時つきあっていた彼女に振られた私。飲んだくれて泥酔した私をなだめて、部屋まで送ってくれました。次に好きになった彼女をどうやってGetするのか、よく一緒に作戦を練っていました。

そして、彼は任期が終了し、帰国しました。

私が渡米したときは彼に電話をかけ、
「今ニューヨークだからそこまで行く」
などと言っていましたが、再会はかないませんでした。

何度かそんなことが繰り返されました。

そして、その時の彼女は今、私の隣でやさしく微笑んでいます。そう、彼女は私の妻になりました。

結婚が決まったとき、真っ先に彼に知らせようとメールを送りました。
返って来た返事は…User unknown…

電話をかけてみました。
つながりませんでした。

もう会えないのかな…。悲しいけど、日本とアメリカ。これが現実です。

そんなある日、妻が言いました。
「Facebookでさがしてみたら?」

彼の名前は平凡です。そこで珍しい名前の友達を探し、そこからたどることにしました。

ビンゴ。

二人目で彼を見つけました。涙がでました。

早速メッセージを送りました。キーボードを打つ手が震えました。

すると、すぐ返事が返ってきました。
「Tama!! 元気だった?」
「何? 結婚したの? そうだろうと思ってたよ!」

それからメッセージのやりとりを続けました。もちろんそしてお互いのメールアドレス、電話番号も交換しました。

彼がその数ヶ月後に、長野に出張で来ることがわかりました。

慌ててその日にスケジュールをあわせて長野のホテルを押さえました。長野だろうが北海道だろうが沖縄だろうが、飛んでいきます。

前日に東京で仕事が入っていた私たち夫婦は、はやる心をおさえて長野新幹線に乗り込みました。新幹線の中から彼にメールを送ります。彼は長野駅まで迎えに来ると言います。

新幹線のスピードさえもどかしい。

やっとの思いで到着した長野駅。

昔と変わらない彼の笑顔。涙が止まらない。

そして飲み明かした夜。時間がいくらあっても足りないぐらい。色々な話をしました。お店のお酒を全部飲み尽くすぐらいの勢いで飲みました。

数年前、彼の住んでいる街に、私は行っていたのです。彼が住んでいることを知らずに。知っていればそのときに再会できていたのに…。

AVMのことも話しました。彼はとても驚いていました。そして心配してくれました。
「もう大丈夫だよ」
と、言っても
「気をつけて」
と繰り返し言ってくれました。

昔と同じように飲み明かし、再会を約束して別れました。

別れてから妻は優しく
「良かったね。Tamaも彼も、本当にうれしそうやった」
といってくれました。

最後にこう一言付け加えて。
「あんたら、何年たっても変われへんなぁ」