結(YUI)〜妹背山婦女庭訓波模様〜 著:大島真寿美 | my life without me

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デブでボッチなjedによる独り言。

 渦(UZU)〜妹背山婦女庭訓魂結び〜の続編である。

 

 今回は生粋の遊び人、裕福な生まれの平三郎、絵を描かせては耳鳥斎、歌を歌わせては大夫の松へと言う商い人を主人公に据えている。

 

 平三郎はそれなりに造り酒屋の松屋の店の主人の息子として生まれ、俳諧を習い、絵を習い、書を習い、それなりに次の主人と見込まれて裕福に暮らしてた。しかし、妹背山婦女庭訓の評判を知り、道頓堀に浄瑠璃を見に行ってから世界が変わってしまった。

 

 大店を継ぐどころか、店を畳み、父の趣味だった骨董も売り払い、十分な蓄えのあるうちに寂物屋の主人として絵を描いて暮らし、浄瑠璃の大夫のように詞章を誦(そらん)じて、宴席で大いに顔広く交友を深めて行った。

 

 第1章の水や空はそんな平三郎の絵が本になって出版されると言う具合だった。もちろん、芝居小屋で近松半二の娘のおきみとも顔見知りになっている。

 

 第2章の種は近松半二の門徒、徳蔵の話しである。大枡屋と言う道頓堀の娼家を営んでいた。そこのボンボンだったのである。しかし、半二に師事し、おきみのお守りのように付き従ってた。と言うのも、徳蔵は浄瑠璃を見ても感想や駄目出しはおろか、浄瑠璃のいろはがわかっていないので、おきみを浄瑠璃の神さんとして、芝居小屋で見て回るうちにあそこはどうだったこうだったと言えるようになるように、稽古のようにして芝居小屋を回って歩いていたのだ。

 

 大枡屋も従兄弟が差配するようになって徳蔵に焦りをかける中、徳蔵は浄瑠璃と心中する覚悟やと、家業に精を出す事は無かった。初めて書いた浄瑠璃は雨月物語をベースに書いた物だ。おきみに見せる。なんやもうひとつやと言われるが、半二はこう言う。思いつきはええなぁ、おもろいで。しかし、それだけだった。しかし、半二はこうも言ってくれた。やろうとしてる事はわかるで、でもこれは種だ。良い種かもわからんけど、花が咲くには時間がかかるやろなと、こう言う具合である。

 

 その後、徳蔵は歌舞伎芝居に誘われ、半二も誘いがあるなら受け取っといた方がええと、徳蔵は浄瑠璃ではなく歌舞伎の立作者として成功を収めていくようになるのだった。

 

 次の第3章から半二の死後が描かれている。渦では描かれなかった描写だ。近松半二、近松加作と銘打って半二の遺作が公演され、加作とはおきみの事だったのだ。

 

 それを知った浄瑠璃作者の菅専助がおきみをどうか良いとこの嫁はんにするか浄瑠璃を続けてくれるかと画策するのだった。おきみは母親と京都のまるのやと言う料理屋に預かって貰い、そこに専助や平三郎がお邪魔する。まるのやの2階でおきみにせっつかれながら近松やなぎが浄瑠璃を書く。専助はおきみを世に出したいからとやなぎの作った浄瑠璃にはなりそうも無い代物に手を加え、世に出したのだった。その為に自分の新作も作らなければならず、心半ばで死んでしまう。これが浄瑠璃地獄となった。

 

 なんの因果か京に災厄の大火事があって、おきみは母と一緒に山科まで避難した。その後(ご)再建し、まるのやの板前になった信六とおきみは結婚した。その事を知った平三郎は近松加作として浄瑠璃書かへんのかと詰め寄るも、おきみの方ではとりつく島も無い。近松やなぎが上演した専助が手直しした浄瑠璃は成功したものの、専助の新作を任された余七は散々な悪評をくらい、芝居小屋に居られなくなって江戸に出てしまう。それを助けたのも平三郎だった。のちに劇作者として人気を博す十返舎一九がこの余七なのだった。

 

 それに触発され、絵本太閤記を元に近松やなぎが作った新作でやなぎは吹っ切れるのだった。その為に半二が以前作った三日太平記が必要になる。そこで丸本を持っていたのが徳蔵だった。それを平三郎を通しておきみの為だと借り、おきみも手を加えながら近松やなぎがまるのやの2階で作った絵本太功記が妹背山婦女庭訓の再来を思わせる繁盛ぶりで幕が降りる。これを機に太閤記ばかり作る言うので近松やなぎはもう大阪で書けとおきみもやなぎを手伝う事は無くなった。

 

 徳蔵もやなぎの絵本太功記を見に来ていた。そしておきみに再開する。そしておきみは三日太平記の丸本を返しに徳蔵に近松半二が残した近松門左衛門から続く硯を徳蔵に預け渡し、エンディングだった。

 

 月のかさねと言う絵本を平三郎が作り、死後世に出たくだりはすっ飛ばしてしまったが、月のかさねを作っている平三郎が死んだのに、その後(ご)の話では生きて登場する。ここだけ少し時系列があやふやなのだった。しかしながら良くできた古典をモチーフにした物語だった。

 

 作者の語り、人物の語り、会話の三拍子でどこまでも読みやすく、浄瑠璃への愛を語り尽くしていたのだった。

 

 以上