先生と呼ばれて 教師と言われて -3ページ目

先生と呼ばれて 教師と言われて

腹黒のグロの部分。
教師でいること
女性でいること
中学生と向き合うこと

そのまま
話せる場所はそう多くない

その一文。

「先生、ありがとうございました。」

これだけで、救われる。

繰り返し繰り返し
教卓に立てるのだと、私も子どもに「ありがとう」をいいたい。

たまには、こんなご褒美の言葉もいいよね。
子供達にカラーの写真を見せたい。
1番後ろの席の子にも見えるようなカラー画像が欲しい。
視覚にうったえることの重要性は、改めて書く必要はないと思う。
また、想像力が乏しい子供達にとって
想像力を補う、またその糧にするためにも、カラーの画像を使いたい。



財政難を理由に、カラーコピーでさえ学校現場では十分に与えられていない。
自宅からカラーコピー機をもちこんだ先生もいた。もちろん、インクは自前。

教師の人員削減
教師の給与削減だけではない

教育費の削減は、子供達の学校生活にまでおよんでいる。

南京錠で教室を施錠しなければならない。
机が足りないため、ガタガタゆれる机での学習。
椅子との高さもあわなければ、身長とあわないのも我慢しなければならない。
先輩が彫って傷のある机。
ボロボロのロッカー。

替えてあげたくても、ないのだから、仕方ない。

「カラーで教材をつくって見せてやりたい」

こんな願いさえままならない。

唯一使えるカラーコピー機は、パソコン室にあるため職員室ではできない。

そのパソコンを立ち上げるためには、時間も手間もかかる。

「それくらい我慢しろ」

といわれるのだろうか。

なんだか、納得がいかない「削減」の結果だ。
教師という仕事をしています。
よく「教師はクソみたいな人間」とか「世間知らず」とか、聞きます。
「教師は、企業研修を2年ぐらいして社会を知るべきだ」とかいわれます。
どんな立派な仕事をしている人も、そんな事を言う人も、その「教師」に少なからず9年間の未熟な時代を支えられてきたのに、「教師なんて」という言葉や、「給料泥棒」とか言っているんだなぁと思うとやるせない気持ちになります。
私は中学校だけど、多くの先生が朝は7時半から、夜は8時過ぎまで働いてます。「遅くまで働くのは仕事が非効率だから」なのかもしれませんが、効率よくやることで、削がれてしまうものも大きいと思う。
日本の教員の労働時間は世界的に見ても過酷です。労働時間外に働くことは当たり前だし、土日がクラブで無くなることもよくある話。
たしかに「全体の奉仕者」ではあるけれど、教師から社会を遠ざけているのは、果たして義務教育から大学、そして採用までを「学校」という閉鎖的な環境に身を置いた教師だけの責任なのでしょうか。
そして、教師という専門職が、学校という場所が、はたして本当に「社会性」を欠いているのか。社会を構築している人員は、どんなひとも「学校」という場所で「教師」と共に過ごしたある意味「社会から切り離されな小さな社会」を生きていたはず。
私は立派な教師ではないので、教師失格者かもしれないけれど、この職についている人たちにもう少しでも光が当たればいいなぁと思います。。。

客観的な意見が聞いてみたくて、投稿しました。