「日本の教育はサラーリーマン養成所」
とあった。
乙武さんについて思うところ
というより
この言葉自体について考えたい。
日本の教育は間違っているのか。
集団を意識しすぎているのは、果たして問題か。
なぜ、整列をし前にならえをするのか。
私は
メニューを選べない給食(アレルギーは別にして)も集団行動も、非常事態、危機管理において非常に大切だと考える。
もし、大規模な危機に直面した時
整列することができる。
というのは、パニックを収束に向かわせると思う。
ワガママを出さない。
集団の中の自分を考える。
今目の前にあるものを食べる。
このことは、天災下などにおいて、多くの命が
生き残るために大切だと思う。
大切なのは
いかに 集団行動を強いられていく中で
自分を表現し、その中で役割を見つけていくか、だと思う。
集団行動のなかで、個を出していく力だと思う。
それは、発達障がいを持つ子供も身体的障がいを持つ子供も同じで
その障がいを、大きな集団のなかで活かしていく力が必要なのではないだろうか。
そんな違いを持つ各々を、活かしていく個の集団としてあるべき姿を模索するのが学校ではないだろうか。
ある程度学力で分けられた学校というより
さまざまなバックグラウンドをもつ小中の公教育において、集団行動が大切だと思うのは
「同じになれ」ということではなく、「違うものたちと補い合って1つの集団としてあることができるように、同じ目線に立つことを学べ」という考えのような気がする。
そして、時に「強いる」場面が出てきた時、子供達は意外に、自分の能力以上のものを発揮したりするように思う。
日本の学校教育は果たしてサラーリーマン養成所なのだろうか。
そして、それではいけないのだろうか。
もちろん、現状の学校教育がすでに完成しているとは思えないし、改革が必要だと思った上で。