シルバーバーチの霊訓(二)九章 「この世、そしてあの世」から | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

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シルバーバーチの霊訓(二)九章 この世、そしてあの世

 


「死んであの世へ行った人はどうやって時を過ごすのですか」

霊界の下層界では生活に面白味が乏しいですから、

時間が永く感じられます。
上層界では-無論比較上の問題ですが-

快い活動が多くなりますから短く感じられます。

「みんな自分の家を持っているのでしょうか」

はい、持ちたいと思う者は持っております。

そう望んでそれなりの努力を致します。が、持とうと思わない者もいます。

同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。

例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。

こうしたことはその霊の創造的才能に関わる個人的な好みの問題です

 一旦家を拵えたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。

青空天井にしたければそうなります。

好みというものは長い間の習慣によって形作られていることを忘れてはいけません。

習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。
生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、

従って同じような様式の家に住むことになります。

「コンサートとか演劇とか博物館のようなものもありますか」
博物館は大きな建物-学問の殿堂(ホール)の中に設けてあり、

そこにありとあらゆる種類のコレクション-地上の全歴史に亘る資料から

霊界の興味深い生活形態を示すものまでが展示されております。


コンサートはしょっちゅう開かれております。音楽家には事欠きません。
大音楽家と言われる人も大勢いて、自分の才能を出来るだけ多くの人を

楽しませる為に役立てたいと願っております。
劇場-これも数多くの種類があります。

純粋に芸術としてのドラマを目的としたものもあれば、
教養を目的としたものもあり、教育を目的としたものもあります。
地上でもっていた天賦の才、素養、能力は死と共に消えてしまうのではありません。
逆に、死がより大きな自由をもたらし、それを発揮する機会を広げてくれます。

「地上で有名人とは別に、そちらへ行ってから有名になった人がいるものでしょうか」
地上での名声は単なる〝生まれ〟に由来し、他に何の要因もない場合が多いものです。

生き様、努力、苦労によって克ち得たものでない場合が多いのです。

そうした中で全く名を知られず偉大さを認められなかった人物が、

こちらへ来てそれに相応しい評価を受けている人が大勢、実に大勢いるものです。

魂こそ消そうにも消せないパスポートなのです。


ある時シルバーバーチは、今霊界の奥から帰って来たばかりだと述べ、

その目的はこれまでの仕事の進展ぶりを総点検し、

これから先の仕事の為の新たなエネルギーを摂取する為であると説明してから、

更にこう述べた。


こうして再び地上へ戻って来る時の私の気持はいつも〝味気なさ〟です。

この表現でもまだ十分に意を尽くしていません。

地上には光と生命が欠けています。

うっとうしくて単調で、活力に欠けております。

まるで弾力性を失ったクッションのようで、何もかもがだらしなく感じられます。

 

生き生きとした魂、愉快な精神の持ち主は極めて稀です。

全体を無気力の雰囲気が支配しています。

生命の喜びに満ち溢れた人は少なく、絶望と無関心がはびこっております。

多分あなた方自身はそれに慣れっこになっている為にお気付きにならないのでしょう。
私達にもそれは感じられるように思います。世をすねた心がはびこっているようです。


それは取りも直さず戦争に対して払わされている代償です。

あれだけの激しさをもって一気にエネルギーを使い果たせば、

その結果として衰弱を来たすのは当然のことではないでしょうか。

 

かくて熱気、情熱、熱心さが見られないわけです。

私は全てが光り輝く色彩豊かな境涯からやってまいります。

そこでは心は真の生きる喜びに溢れ、各自が自分に合った仕事に忙しく携わり、

芸術の花が咲き乱れ、全ての者が奉仕の精神にみなぎり、

自分が持っているものを持たざる人に分け与え、知らざる人を教え導くことを喜びとし、

情熱と迫力と喜びをもって善行に励んでおります。


その点この地上は全てが今述べたような陰気さに包まれております。

しかし、ここが私共の奮闘しなければならない土地なのです。

ここが私達が奉仕しなければならない領域なのです。

ここが全力を投入すべき場なのです。

 

一人一人が神の無限の可能性を秘めた統一体としての一部なのです。

自分という存在の内部に日常生活のあらゆる問題を克服していく為の

インスピレーションとエネルギーを摂取する手段を宿しているのです。

 

その永遠の実在に気付いている人、或いは奥に秘められた能力を引き出す方法を

心得ている人は極めて稀のようです。

そうなると当然、物質的生活と同じく実感のある霊的生活の豊かさと喜びを

味わえる筈なのに、物的生活の味気ない単調さの方を好む者が多いことになります。



私がなぜこんなことを言うのかお判りですか?

全ての力の根源は霊にあり、永遠の富を獲得することは人生の悩みの種となる

物的なものよりも大切であることを悟ることでしょう。
私の目には、あまりに多くの人間がその貴重なエネルギーを浪費させる

ことにしかならない事で悩み、怖れ、取り越し苦労している姿が見えるのです。

 

重点の置き所が間違っているのです。視点を間違えているのです。