人間は「幸せ」になるように創られてます | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

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「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

 

幸せを手にするには自力か他力か?



実は両方です。
あるレベルまでは自力努力をしなくてはいけません。

例えるならば、迷いの檻の中にいる時は、自分でそこを出る
出口を探さなくてはいけないのです。

そこで幸せに通じる正しい出口を見つけるに他人に頼っては
いけません。
宗教に頼ってもいけません。
親に頼ってもいけません。
社会の常識に頼ってもいけません。

親も宗教も社会の常識も、あてにしてはならないとなれば、
何に頼ればいいのでしょう。

言ったように「他人に頼ってはいけません」です。
貴方自身に頼ってください。

迷いの檻を作って貴方をそこに閉じ込めたのは
貴方の親であり、貴方が育った社会であり、
信じる宗教を持ってるなら、その宗教です。

まだまだ、生まれて、ここまで育ってきた期間に経験して
学んだことの全てが貴方を檻に閉じ込めてる原因なのです。

言っておきますが、この檻の中に「幸せ」はありません。
ないものをいくら探しても、見つかるわけはないのです。

「幸せ」は檻を出て、幸せに通じる正しい出口から出ないと
たどり着けません。

もし間違った、出口から出たとすれば、もっとひどい過酷な
檻に行くかもしれません、気を付けましょう。

世の中に、幸せを求めて檻から出た結果、自らの命すら落として
しまうことも、とても多いのです。

時々、朝の電車が止まってる、駅のアナウンスでは
「人身事故が発生したので、ただいま運行を停止しております」
自殺、そんな行為は正気の人間のすることではありません。

人間は生まれ持って、「幸せ」になる、なれるように創られてます。
世の中の多くの真実の中で、 人にとって大切な真実です。
――人間は生まれ持って「幸せ」になるように創られてます――

幸せに通じる正しい出口を見つけるに他人に頼っては
いけません、貴方自身に頼ってください。

この意味は、貴方自身がそれに気づきなさい、目を覚ましなさい。
「目覚めなさい、君たち」と言うことです。
「悟りなさい、君たち」と言うことなのです。

そんな難しいこと私にはできません、と感じた貴方、悟れます。
人間は誰でも悟れるように創られてます。
その努力こそ、自力なのです。

目覚めた眼で探せば、幸せに通じる正しい出口は必ず見つかります。
檻を作ったのは貴方です、だから檻を出るのも貴方の力が必要です。

正しい出口を見つけて、檻から出たなら、あとはゆっくりでもいい
マイペースで毎日を楽しみながら、歩いて行けばいいのです。
それがホントの人生です。

人間として生まれて、「人生」道を歩む、なんと素晴らしい道でしょう。



菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
ぼだいさった    えはんにゃはらみったこ

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
しんむけいげ   むけいげこ     むうくふ
 
菩提薩埵とは、我々の生きるこの世界で、目覚めたいと望む人です。

その人が般若波羅密多を実践することにより、目覚めて、
心無罣礙、心に刺さってるトゲが抜けて、それ故に幸せになる。

そこで目覚める為に般若波羅密多の行を実践しなさい。

一番簡単で誰でも出来る般若波羅密多の行とは「瞑想」でしょう。
釈尊も「瞑想」によって、悟りを得たわけです。
古代インドの行者達も「瞑想」をしていたわけですが、
最終的に「瞑想」を目覚めの為に確立したのは釈尊です。

「般若心経」の冒頭に観自在菩薩が行深般若波羅蜜多時とは
深い瞑想の時にこの世は皆空として、すべては肯定される。
と説かれてるわけです。

では何故に「瞑想」によって心に刺さってるトゲが抜けるのか?
それは自然に抜けるわけではありません。

あくまでそれを抜くのは自分自身です、ですのでその努力は
貴方自身がしなくてはいけません。
他人には貴方の心に刺さってるトゲを抜くことは出来ないのです。

瞑想をしていると、あらゆる雑念が出てきます。
そうです、最初から無我の境地に入れる人はいません。
釈尊ですら、瞑想中に出てくる、ありとあらゆる雑念と欲望と
戦った末に、悟りを得たわけです。

瞑想とは、出てくるあらゆる欲望、煩悩の数々、
それらを一つ一つかたづけていく作業です。

それら湧き上がる雑念から、自分の持っている潜在意識の汚れに
気づき自覚することです。

そして、かたづける、整理していく、いらないものは捨てる。

潜在意識の中は欲にまみれた汚れでぐちゃぐちゃになっている、
それを整理しなさいということです。
それが心無罣礙になることです、心に刺さってるトゲを抜きましょう。

その片付け作業が終われば、そこまで行けたら、自力努力は
終わりです。
心無罣礙になれば、もう自力努力はいらないのです。
そこまでいけば、自分をとりまく社会はなんと素晴らしいと、
それは他力なのかもしれませんけど、幸せに向かいます。
オートマティックに幸せになってしまうのです。

自分一人で幸せになれる人はいません、社会という他力は必要です。

自分で作った檻から解放されて、社会の中で人生を自由に歩み、
幸せに向かう道とは――そんな道です。