不思議でしょうが、こういうことって | 宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

「日々の心」というテーマを作った。



何を書くのか?
って、書くことに詰まったら、ここに今の心境、ぼやきを書こう。
それならば、毎日、何かは書ける。
心のつぶやきでいいのだからね。

ここのブログ「人生を歩む地図」では、 
生きていくに、地図も持たずに、今いる場所も分からずに進んでいくと、
必ず迷いの渦の中に入っていきますから、最低限でも
地図を頼りに、人生を歩んでいってくださいませ、といった趣旨で
書き進めていこうと考えておりましたが、反応が少ない。

たぶん、なのですが私も段々書き込んでゆくエネルギーがドンドン少なくなる。
何故なのだろう?
コロナ蔓延で、そんなこと考える余裕が皆様の中にないのだろうか……
所詮、人生を生きていくにそんなことは、考えたことはないのだろうか……
私にとっては、そういうことがとても不思議に思える。
これは、もしかしたら日本人の特徴なのだろうか? とも考えたりする。

日本人って、物事を真剣に考えない国民性を持っているように思う。
石原慎太郎氏が先日なくなったけど、彼も若い頃は熱く訴えておりましたね。
憲法改正。
国軍を持て。
Noといえる日本人になれ。
日本人はこうでなくてはならん。
とか、まあパワーの塊のような人でした。

 

しかし、石原氏の場合、唯物論者であって、死後の世界を否定しておりました。

彼の晩年、死生観に関する発言で
「死後にあるものはやはり虚無でしかあるまい」

とのことでありまして、あれほど知的な方でしたが残念に思います。

 

同じように日本では、著名な知識人の方々、以外と実在を信じていない方が

多いようです、同じく仏教界も唯物論者の方々が多いようです。

科学の分野でも、ほとんどの方々は唯物論者といったところでしょうか。

石原氏、その生き様ではあまりにも過激な論調が多くて、

嫌われたって面もなきにしもあらず、でした。

まあ、同じようなコトを私も、ここではとても言いたいことが多く、感じるわけです。
私の場合は、根っからのノンポリですから、石原氏と全然畑違いで、
月とスッポンなのですが、しかし私の場合、性格と言いますか
一つのことを深く追求する癖のようなものがありまして、
ここでも、そうしたものを深く追求して書いていこうと考えたのですが、
反応がない。

反応なくても、書き進もうか……
しかし、それって、なんかじぶんがアホーに思える。
いろいろなテーマも作ってみた。
もちろん、作った時点では、こういうことも、ああいうことも書き進みたいといった、
十分な、考えが、頭の中に充満していたので、作ったのですが、
なんかね、しぼんできた。
こうした道の話を、書き進むって、言ってしまうと天の声を代弁するって
感覚で、進むわけです。
そう、超越人格の声を受けて書き進みます。
だから、もっと言えば、私が書いているわけではなく、
こうしたことを、書きなさいといった、指示があって書くわけです。

それが、聞く耳を持たない人々には、何をどのように話しても無駄だよ、
って声が聞こえるわけ。

不思議でしょうが、こういうことってね。
ですから、今日は私のぼやき、ということで書いてみました。
反応が、少ないと当分は、ぼやき節になってしまうのは残念です。(笑)

熱く心に燃えるものがあって欲しいな、人生って一度だけだしね。

いや、次もあるのですけど、はい、ある程度の浄化を済まさないと

解脱は出来ませんから、まあ、実在を否定するようでは、

何度かは生まれ変わりでの修行がまっているのかもね。

 

皆様、私に天の声を書かせてもらえますように、

イイネ、コメント、フォーローのほどをよろしくお願いいたします。m(_ _)m