中学受験を選択した理由とは。進学実績? 先取り学習?
中学受験は賛否両論だ。これは前提として動かない。「子どもがかわいそうだ」「早くから競争に放り込むな」「公立で十分だ」そう言われるのも分かる。ただ、その多くは「中学受験が子どもにどう作用するのか」を、構造として考えた結果には見えない。特に、声高に中学受験を否定するのは、一部の塾講師や教育業界の人間だ。中学受験は歪む、失敗例が多い、早期教育は害だ――そう言っておく方が、自分の立場を守りやすい。そう感じる場面もある。一方で、高校受験派の親の多くは、中学受験を本気で否定しているわけではないだろう。「うちは選ばなかった」「大変そうだな」その程度の距離感で見ているだけだと思う。ただ、中学受験そのものを全否定する議論を見ると、向き不向きの話と、制度そのものの是非が混ざって語られていることが多い。ここは意見が分かれるところだ。実は、中学受験の最大のメリットは、学歴でも進学実績でもない。もっと現実的な話だ。受験勉強をしている間、人の生活はどうしても受験中心になる。点数、偏差値、順位、合否。何をするにも、「受験に関係あるか」で判断するようになる。これは避けられない。問題は、それがどれくらいの期間続くかだ。高校受験を選ぶと、その先に大学受験が控えている。結果として、中学後半から高校3年まで、長い家庭では5年近く、受験が生活の軸になり続ける。中学受験の場合は違う。小4から小6までの3年間で一度受験が終わる。中学に入った時点で、少なくとも数年間は「次の受験」が視界から消える。この差は大きい。受験から距離を取れる時間があると、点数や偏差値以外のことにも目が向くようになる。本を読む、自分の興味を掘る、友達と無駄話をする。そうした時間が、結果として人を作る。逆に、受験期間が長く続くと、思考はどうしても受験仕様になりやすい。処理は速いが、関心の幅が広がりにくい。そういう傾向が出るのも事実だ。大学に入った時点で、意外と差がついていることもある。それが教養なのか、人間性なのかは分からない。ただ、同じ大学に進学しても、中学受験組のほうが余白を感じる場面が多い。(もちろん個人差はある)だから、せっかく中学受験をしたのに、中1・中2から再び受験一直線に突っ込むのは、本末転倒だと思っている。中学受験の本当の価値は、先取り学習でも、大学受験対策でもない。一度、受験から降りられる時間を確保できること。それに尽きる。その時間をまた受験で埋めてしまったら、最初から高校受験を選んだのと大差はない。中学受験は、学歴目的で選ばれる面も確かにある。それ自体を否定するつもりはない。ただ、一番大きいのは、人間的な成長の部分だと思っている。多感な時期を、内申点や合否、偏差値だけで埋めるのか。それとも、世の中や自分自身に目を向ける時間として使えるのか。この差は大きい。たとえ最終的に同じ学歴をたどったとしても、どちらの時間を過ごしたかで、人としての厚みは変わる。以上が、私が中学受験を選択した理由だ。本来は子ども自身が選ぶ話だが、小4という年齢を考えれば、その判断を親が担うしかなかった。それが正解だったかどうかは、結果論でしか語れない。今回の記事で述べたのは、中学受験という制度の是非ではなく、「受験が子どもにどう作用するか」をどう捉えているか、という私なりの考え方だ。この考え方に賛同しない人がいることも承知している。そもそも中学受験には向き不向きはあるし、全員に当てはまる話ではない。ここに書いたことは、すべて自分自身の経験に基づく私見である。独断と偏見であることは、ご容赦願いたい。