私の子供たちはインターナショナルスクールに通っている。この時期はとにかく忙しい。


学校のクリスマス行事(コンサート、パーティー、それらの打ち合わせ)が重なり、さらに、冬休みを本国ですごく家族も多いので、みんな名残惜しいのか、妙に学校関係の集まりが集中する時期である。


綱渡り綱渡り。私は、常に自分一人しかいないという緊張感があるせいか、行事をこなしていくプレッシャーを感じる。学校、遊び、習い事、家庭、3人の子供のスケジュールと体調管理。自分も含めて、一人でも具合が悪くなれば、結局みんなの行事をキャンセルするはめになるからだ。


幸い上の子二人は体力もついてきて、昔に比べるとずいぶん病気をしなくなった。3番目も未だにまだ母乳が続いてるせいか、ただ単に大食いで好き嫌いせず何でも食べるせいか、いたって元気な子である。神様ありがとうございますっ。


今晩もまた一つ大きな行事が終わった。金曜の夜。会社を早めに出て、学校にかけつけたパパ達でいっぱいだった。おめかししてクリスマスの歌を歌う我が子を一目見ようと、夕食もたべる暇なしに駆けつけた人たち。


パパもママも知った顔が多い。コンサートが終わると、お互い何気ない立ち話をする。子供たちが教室から親の元へ戻ってくる。するとその辺でしゃべってたパパ、ママも戻ってきて、全員そろったところで、「じゃあ」という感じでいそいそと遅い夕食をとりにレストランへと足を運ぶ家族たち。みんないいなーっとふっと思ってしまう。


人をうらやんだりするのは好きではない。


でもこうして子供の行事を重ねるごとに、平気ですっぽかす我が夫を許せない思いがあふれてくる。何で私はこんなに頑張ってもがんばっても、普通の人の生活ができないんだろうか。子供の運動会や、クリスマスコンサートのような大きな行事に父親たちも足を運ぶ、それって当たり前のことではないのだろうか?


疲れ果てて家にたどりつくと一番下のチビが私の手をとり「せっせせーのよいよいよい」をやってくれとしきりに訴えかけてくる。(まだ言葉をしゃべれない)。私はセッセセーのよいよい。。。よい。。。」思わず涙声になって歌えなかった。とりあえず、今晩は寝よう。そして明日考えよう。



先日、不思議なこと、と言うより、まさにギョッとするでき事があった。


それはこのブログの「その怒りをぶちまけろ!」でも紹介した、家具の大移動の直後の話である。

その数日、とにかくあっちこっちの家具を動かし掃除し続けた。


子供のベッドの下など、びっくりするほど物がでてきた。なんといっても綿ぼこり、枕から出たダウンの羽 羽 羽。まるでとりの巣。。。靴下、洋服、下着、お菓子の包み、スーパーボール、人形用の小さな食器、レゴ。。


掃除機を片手に、物だけ広い集めて とりあえず あーすっきり。(この一発で掃除機のフィルタがパンパンになるくらいだったので、どんなおぞましい状況だったか、ご想像のつくところでしょう。)


そんなこんなで拾い上げたものの中に、「スピリチュアル生活12か月」(オーラの泉の江原啓之さん著)がでてきた。「へー、こんなの買ったっけ?」


私は確かにセルフヘルプ系の本をたまに読む。でも占いや迷信のような物は、興味はあるものの、あまり信じない事にしている。ましてやお金を出してまで、こういうの買うかなァ??


その夜、大掃除で大満足した私はふっと、私のベッドの横に置いてあったこの本を手に取った。


こんなの読んだかな?内容が全く思い出せない。でも確かにかにちょっと読んだ形跡。(しおりを使わない私は、読みかけのページに、その本のカバーのへりをはさんでおくのだ)。「ふーん・・・」と、何気なくそのページから読み始めた。


「・・・むしょうに部屋の模様替えをしたくなるとき、これも1つのサインです。「今から新たな運命の流れが起こりますよ」というガイド・スピリットからのメッセージなのです。。。(省略)しかもこの変化は、いい変化です。」(同上の本。p86)


何ィ? ガ、ガイド・スピリットォ?? あまりピンとこない私は読み進んだ。


「自分では、その理由が理解できないこともあるでしょう。「こんな忙しいのに、なぜ今、模様替えなんかしているんだろう」と不思議に思ったりします。」(同上の本。p87)


この部分で私はギョッとした。これはまさに今日私が何度もつぶやいた事だからだ。


お客さん(といっても、1年生の息子の友人達だが)まあ、帰りのお迎えの時にお母さんがいらっしゃるだろうと想定して少し片付けようと思ったのが、きっかけであった。


とにかく私は後30分で、このベッドを下に持っていけるかな?なんてところからこの大移動を始めたのだ。


枕やシーツ、布団類を横にほっぽり投げて、ベッド2つを別の階に動かすのだ。正気の沙汰ではない。あと15分。何で、あたし今こんなのやってんだろ。部屋も廊下も、いたるところに、寝具と物が散乱していて、目もあてられない。あと10分、げ、ここドライバーでネジとらないと、このドア通らないじゃん・・・。


かくしてこんな具合になんとか大移動が終了した。見た目はすっきり。さっぱり。あーよかった。そのガイド・スピリットさんからご連絡いただいたとおり、何か良い変化が起こりますよーに。良いことだけは信じる私であった。




 

今日久しぶりに旦那に会った。仕事が波に乗っているようでうれしそうである。


良かったね。ものすごく頑張っているのしってるから、心からおめでとう!!と弾みたいが。。。。


ものの5分程度の会話だから決め付けてはいけないが、彼の頭の中は仕事仕事仕事。


バリバリ働いて少しでも片付いてくると、じゃあ次は、と家族に振り向いて時間を共有してくれるわけではない。ただ次の仕事やビジネスを考えついて、ひたすら実行するのみ。


疲れ果てれば、自分ひとりか商売関係の誰かと旅に出る。家族と楽しむなんてことは、ピンと来ないようだ。(家族旅行と思って行っても、商売関係の誰かが一緒だったり(寝泊まりも)、結局現地で彼はどんどんアポを取って、バリバリ働く。結果、私は子供3人つれて別行動を強いられる。下手すれば、自分の客をディナーに招待しておきながら、自分はかなり遅刻なんていうのもざら。我が家で知らない人をおもてなし。お客の方も気まずいはずだ。)


一方私は口を開くと子供子供子供。他に自分の世界がないからというより、3人もいるので、いっぱいいっぱいなのだ。時間的にも体力的にも。


この平行線に接点を見いだせる日がくるのだろうか?一緒にいる意味は何でしょうか?

退職後とか想像しても、楽しみじゃないもん。時間ができても、老後を共に楽しむコンパニオンにはなれないと思う。一緒に出かけたり、会話をしたり、食事をしたりしても、自分自分自分の一点張りで、人がどんな事をしたいかなんて興味もないし、聞いちゃあいない。でつまらないと思う。