ずいぶん遅れての結果報告となってしまいました。
我が家の受験は2/2、想定した中での最短で終了することができました。
「最短合格」、我が家にはもうひとつ大きな意味がありました。
実は、昨年末にもやんの祖父である夫の父が心臓の手術をし、ICUにずっと入っています。
いつ何があってもおかしくないという状態で1月後半を過ごし、とにかく受験が終わるまで待って欲しいと願うだけ。
2/2に受験が終わることを願い、2/3の早朝の航空券をとっていました。
だめだったら、夫はもう待てないので一人で義父のもとへ。私たちは残って受験をするということに。
ありがたいことに、もやんは第一志望校を合格してくれ、私たちは2/3に義父のもとに行くことができました。
ICU面会は限られた時間で、家族も二人ずつのみ。
私と義母で先に面会。一年前の姿とは別人。
管がたくさん繋がれて、管をとらないように手も拘束されている。
話しかけると小さくまばたきをするけれど、それが返事なのかただのまばたきなのか。
義父の様子は伝えられていた通りでした。
交代して、夫ともやんの面会。
同じく最初はぼんやりとしたまばたきで、話が通じているのかわからなかったそうです。
が、夫が持参したもやんの合格通知書のコピーを目の前に持っていくと、目で追っている。
次第に義父の目も大きく見開き、話していることが通じている様子だったと。
そして、義父は涙を流し、管が入ってしゃべれない口を一生懸命動かそうとしていたらしいです。
完全に通じていると夫は確信。
「おじいちゃん、がんばって」ともやんも号泣。
夫ともやんが帰ろうとすると、もう少し居てほしかったのか、足をジタバタし首をふる義父。
興奮したのか心音が乱れたアラームも鳴っていたそうです。
落ち着くのを待って、夫ともやんはICUから出てきました。
手術後、一時話すことができた時期、「もやん、合格したらしいな」と義母に話していたとか。
完全に夢なんですけどね。夢と現がまだ交差していたようです。
義父はずっともやんの受験のことを気にかけてくれていたんですよね。
とにかく、義父に本当の合格を伝えることができてよかった!
昨日、東京に戻る前に再度面会に。
呼ばれてすぐに帰れる距離ではない。
最後の面会になるかもしれない覚悟で行きました。
すると、看護師さんから「一週間をめどにICU出れそうです」と。
夫は「もやんが会いに来たからだー」と大感激。
東京に戻り義母に電話をすると、「病院から電話があって、ICUから出るのは明日に早まった」って !
ICUを出ると言ってももちろん一般病棟ではなく、また食事が食べられなければ逆戻りですが、わずかな希望が出てきました![]()
もう一度、会話をすることができるかもしれない!!!
受験中は寒さと緊張・不安に震え、受験後は合格したことを思い出しては笑い、義父のことを話しては涙する。
そんな5日間でした。
最後にもやんの結果報告を。
1月校 〇
2/1 AM 第1志望 〇
PM 第4 or 5志望 〇
2/2 AM 第2志望(チャレンジ校) 〇
PM 第4 or 5志望 未
2/3 AM 第1志望(2回目) 未
2/4 AM 第3志望 未
と、嬉しいことに受験した学校全て合格を頂きました。
想定外のチャレンジ校合格で色めきだったのは私一人。
もやんと夫は「第一志望って決めてたよね!」と。
そんなわけで、第一志望校に進学することに決まりました。
とりあえず、ご報告まで。
今日もがんばっている2018年組に大輪の桜が咲きますように![]()




