グリーフには後悔と罪悪感はつきものらしい。
今朝散歩の時にByron Katieという講演やセルフワークについての本を出されている方のポッドキャストを何気に聞いてみた。
彼女の親子関係に関する講演を収録したものらしく、声からして幼い子供が
「お母さんが僕に意地悪をするのは嫌いです」
「お母さんが僕に怒鳴るのをやめてほしい」
「お父さんとお母さんがけんかしているのを見るのは嫌です」
と自身の母親に心の内を話している様子で母子の間にケイティが入って指導している様子。
聞いているだけでつらくなってしまってすぐに聞くのをやめた。
そして違うポッドキャストを聞いていたら今度は
「自分はちょっと違った子供として育ってきた。母はいつも心配していた。
そんな私の子供としての思いは『自分はダメな子』だった」
と聞いてまたまた複雑な気持ちになった。
息子が小さい時から私もよくいっぱいいっぱいになって感情的になったり、怒鳴ったり、たたいてしまったり、
時にはイライラして意地悪なこと言ったりしたなとその時の記憶が蘇り、辛い気持ちになった。
そんな気持ちになったって自業自得なんだって百も承知だけど、子育てで愛情もって育てたつもりなのに
長男に対しての子育てで優しく接したことよりもそんな冷たい態度の自分ばかりが想い起こされて自分が本当に嫌になる。
こういった罪悪感について夫に話すと
「全然そんなことない。○○はちゃんとわかっていたよ。愛情いっぱいに育てられたって」と言ってくれるんだけど
罪の意識の方が強いからまっすぐには受け止められない。
そして何よりつらいのは、今ではそのことを謝ることもやり直すことも出来ないこと。
野球をやってて全国大会の選手に選ばれ活躍したり、友達もたくさんいて学校も普通に楽しんでいると思っていたのに
突然学校も野球もやめてしまって、心配な行動が増えていった。
何度も自分を責めた。
すべて自分のせいに思えた。
亡くなる前の関係はいいものではなかった。
それでもクリスマスには家に帰ってきてくれるというのを信じて楽しみにしていた矢先のことだった。
亡くなった後に息子の友人から聞いた話では仕事を見つけて一生懸命に頑張っていて、
クリスマスには家に帰ることを楽しみにしていた様子だったと聞いた。
いつかは気が付いて正しい道を歩んで幸せに成長してくれると思っていた。
現にそちらに向き始めているころだったんだと思う。
これからだったのに…
将来私が子供たちに見守られながら息を引き取るときに
「完璧なお母さんじゃなくてごめんね」と謝るんだと漠然と考えていた。
グリーフについての本やネットの記事などを見ていると大切な人を亡くした後の遺族のメンタル状態は
亡くなる前の関係性によって複雑化することがあると読んだことがある。
自分のメンタルが複雑化しているのかどうかはわからないけど、今では修復不能な関係性を何度も何度も思い出しては後悔している。
自分は未熟だったし今でもまだまだ未熟。
カウンセラーからは
「ティーンの振る舞いは一緒に行動する仲間の影響が大きい」
「人間誰しも完璧じゃない」
「難しいティーンと接してカーッと感情的になるのはよくあること。あなただけじゃない」
「自分の心の中では息子のことを常にどう思っていたのか、どうなってほしいと願っていたのかを考える」
「その時の自分は最善を尽くしていたんだよ」
「あなたはとてもいい母親だよ」
どの言葉も支えにはなるけど肯定的に考えるまでには至らない。
しょうがないんだと思う。自分がしてしまった罪は一生背負っていくしかないんだと思う。
でもこれだけは言える
私も夫も長男のことを心から愛していていつもいつも必死だった。
いつでも長男のことを思っていた。心配していた。愛していた。
今でも想っている。心配している。愛している。
ごめんね。ごめんねとつぶやくとき息子が傍で聞いてくれていることを願っている。
私が息を引き取る時は息子は迎えに来てくれるか自信がないけどいつも写真に向かって
迎えに来てね
会えるの楽しみにしているよ
と語りかけている。