愛しているよ永遠に… -5ページ目

愛しているよ永遠に…

2020年12月17歳の長男が事故で突然天国に行ってしまいました。
バイクの後ろに乗っていました…
世界が突然変わってしまい絶望のどん底にいながらも残された家族のために生きています。

昨日は流石にクタクタで早寝をして結構眠れたので今朝は朝のウォーキングしっかりこなせました。

 

いつも歩いている時もいろんな思考が次から次へと浮かんでくる。

 

今朝は日本に住む高齢の父のことを思った。

 

父も以前は毎朝早起きをして2時間もの時間ウォーキングを続けていたことがある。

2時間ってすごいなと思う。

 

それが母の死をきっかけにぱったりとやめてしまった。

 

家の中にいて横になってネットや新聞をながめているばかりでほとんど体を動かさずにいたと思う。

 

「少しでも外に出た方が…」「もう歩かないの?」

 

と心配して声をかけたりもしてみたけど、

「今はちょっと無理…」と言うので心配していた。

 

でも今になってその時の父の気持ちがとてもよくわかる。

 

大切な人を亡くすと今まで普通にできていたことが全くできなくなること。

いろんなことが『もうどうでもいい』と言う気持ちになること。

 

その時はわかっているつもりでも全然わかっていなかったな…と今になって思う。

 

そんな父は孫をも先に亡くしてしまい、父の気持ちを考えるとなんとも切ない気持ちになる。

当初私からは辛すぎて伝えることができなかった。

 

姉の話によると娘である私のことを思うと辛いといっていたらしい。

やっぱり親は何歳になっても自分の子供を1番に思うんですよね。

そうした自分の息子たちに対する気持ちは理解しているつもりでも娘として父を思う時にはそう言ったことを忘れてしまう時がある…

 

なんとなく気まずく、悲しく、父の前では泣きたくないと思って連絡が途絶えてしまっているから今日あたり連絡してみよう。

 


 

 

昨日は次男が友達と近くの秘密の基地?のようなところでキャンプ(野宿)すると夜出発。

あれから輪をかけて心配性になった私は何度も

夫に「大丈夫だよね?」

夫「大丈夫」
と繰り返し、お薬を飲んで眠った。

すると夜中の12時過ぎに犬が吠えてドアをノックする音が聞こえて飛び起きた。

次男が一旦帰ってきて、充電したりなんだりと忙しなくバタバタしている…えー?


やっとまた出て行ったけど今度そこからしばらく眠れず… うとうと眠れたと思ったらどこかの猫がフェンスを超えて庭に入ってきた様子でうちの犬が吠えまた目が醒める…


またうとうとしたと思ったら今度は次男が帰ってきた…


すっかり寝不足で今日も朝のお散歩はお休み。

まだ頭もぼーっとしている。


寝不足になると夕方から気持ちがものすごく落ちてしまうので不安…

もうしょうがないから今日は一日無理しないと決めた


当の次男も今爆睡中…


編み物したり本を読んだり無理せず気ままに過ごそう


最近調子が良い日は少しずつ色んな本が読めるようになってきたので、家にある未読の積読本やKindle Unlimitedにある色んな本を読んでいる。あっち読んだりこっち読んだりとまだまだ落ち着きのない変な読み方だけど、今はそれでいいと思っている。


ここの所、詩にとても興味を持ち始めているので心に響く詩を探してあちらこちらとネットを彷徨っている


今朝は飛鳥新社から出版されている柴田トヨさんの

くじけないで」を読んでみた。


「自分に」


ぽたぽたと

蛇口から落ちる涙は

止まらない


どんなに辛く

悲しいことがあっても

いつまでも

くよくよしていては

だめ


思いきり

蛇口をひねって

一気に涙を

流してしまうの


さあ 新しいカップで

コーヒーをのみましょう


柴田トヨ/「くじけないで」より


いまでも毎日のように泣いているけど、一時期悲しくても涙が出なくなってしまった時があった。

泣けないのは逆にしんどかった… 

悲しい気持ちになるのは辛いけど涙には浄化作用があるらしいし、確かにいっぱい泣いた後は少しだけ心が軽くなる時もある。



柴田さんの詩は優しい印象で脳が疲れている時でも、心がしんどい時でも優しくスーッと心に入ってくる、そんな詩が多いです。








2週間に一度くらいの割合で心理学者によるカウンセリングに通っている。

 

思春期の子育てに悩んで以前から通っていたのが、こんなことになってしまってカウンセラーの方もショックでよく涙を浮かべながら相談にのってくれる。

 

そんな彼女から当初グリーフについて絵をかいてくれて説明を受けた。

グリーフをはねるボールに例えてそれば箱に入っているけれど、今はまだそのサイズが大きすぎて箱の中にある痛みのボタンに何してもぶつかる状態だけれど、時とともにそのボールが小さくなっていき痛みのボタンに当たる頻度が少なくなっていくと…



 

よく“時間が解決するよ”という人がいて自分はこんな体験をして

 

『そんな気はしないな。時間が解決するわけない。解決するような“問題”とかじゃないし…』

とそういうことを言う人たちに嫌悪感を抱いてしまっていた。

 

先日Dr Lois TokinのGrowing around the griefと呼ばれるトーキンズモデルが私にはしっくりときました。



 

これは、グリーフ、悲嘆の気持ちを乗り越えるとかじゃなくて、悲嘆の周りを成長させていくんだというもの。

 

月日が浅いころは眠れない、食べられない、他のことは全く考えられないできないとことばかり。

 

それが月日とともに少しずつできることが増えていって、新しい人に出会ったり、新しいことをしたり、ほんの少しでも楽しめる時間が持てたりとグリーフの周りがゆっくりと時間はかかりながらも育っていく。

 

悲しい悲嘆の気持ちは決してなくならない。

いつでもそこにあるし、時にはその気持ちが強くなってボールが大きくなってしまうこともあるかもしれない。

 

けれど悲しみとともに生きていく方法を時とともに習っていくということなのかな。

 

時がたつとともに周りの人の中には「前を向いて、前に進みなさい」

とか、「もうこれだけ時間がたったんだから」とか、「いつまでも悲しんでいたら故人も悲しむよ」とかいう人もいるのかもしれないけれど、悲しい気持ちがいつまでも自分の中にあることは自然なことで、いけないことじゃないんだということを教えてくれています。

 

グリーフの形にはいろいろな形があるらしいから、このグリーフモデルも人それぞれ形は違うんだろうと思います。

 

でも今の私には納得のいくものでした。

 

私の説明ではわかりずらいかもしれません。

TED Talksにあるノラマキナニーさんのビデオでもこのようなお話をされていて、日本語でも観ることができるのでお勧めです。

悲しみはそこから次に進むものではなく、ともに歩んでいくもの

 

そんなわけで、今朝は外は雨が降っていて日課の散歩はお休みしたのでかわりに息子たちが使っていた色鉛筆やペンなどの文房具を使ってちょっとお絵かきをしてみました。

 

絵をかくのは思いのほか楽しかった。途中色鉛筆を夢中になって手動の鉛筆削りをぐるぐる回して次から次へと芯をとがらせていきました。あまりに真剣になってしまって瞑想でもしているような気分になりました

 

色鉛筆が入っているスタンドが長男が小さかった頃に工作で作ってくれたもので、小さい頃のことを思い出して物凄く悲しい気持ちになり涙しました。

 

私のグリーフボールの周りはまだまだスペースがほんの少しだけしかないですが、慌てずゆっくりゆっくりと長男を想いながら残された家族を想いながら周りのスペースを成長させていけたらなと思いました。

読書が好きだったのにあれからなかなか集中力が乏しく、でももともと本を読むこと、本が大好きなのでここのところ調子がいい時は少しずつゆっくりゆっくり読書をしています。

 

といっても、あっちを読んだりこっちを読んだりと、その時の感情に寄り添ってくれそうな文章を探してふらふらと『彷徨い読書』をしています。

 

そんな中、みすず書房から出版されている神谷美恵子さんの書かれた「生きがいについて」という本の中にはとても心に響く言葉がちりばめられていて、今の私にとてもしっくりくる本でこの本との出会いにとても感謝しています。

 

オーディオブックでも購入して朝のウォーキングの時や編み物をしながら聞いたりしています。

 

この本の中で作家パール・バックがかなしみの絶望から這い出る様子を書かれたものが引用されてあり、そのうえで精神科医でもあった神谷美恵子さんがその様子を分析されていて、とても心に残った箇所があります。

 

「パール・バックが中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時悲しみに耐えられる方向にむかった」

 

「自分のかなしみ、またはかなしむ自分に注意を集中している間は、かなしみからぬけ出られない」

 

「一生涯を貫くほどの大きな目標でなくても、具体的な、短期の目標が必要」

 

「目標を設定することによって悲しみへの集中をふせげた」

 

この本の中で印象に残る言葉はたくさん出てくるのですが、昨日読んでいた喪失学(坂口幸弘著/光文社)の中でもたまたま引用されていることに気が付き、しかも今朝のウォーキングの時にもオーディオブックでも同じタイミングでその部分が聴けたのは、今の私にうったえかけられている言葉なのかなと心に残りました。

 

坂口幸弘さんも

 

「これからの人生を生きていくためには、希望だけでなく生きる目標を見つけていくことも大切である」

 

として神谷さんのこの本の中からこの部分を引用され

 

「まず身近なところで、すぐにでもできるような小さな目標を立てることから始めてみるのもいいだろう。無理をしない程度に、何か新しいことに挑戦してみる。小さな目標や課題に取り組み、一つ一つ達成していくことを通して、自分の足で人生を歩んでいく自信を取り戻していけるかもしれない」

 

と書かれていました。

 

確かに悲しんでいるとき、悲しい、苦しい、絶望的な気分、辛い、とすべて自分のことだなということにこの本を読んで目が覚めました。

 

長男を思って悲しくなっているけれども、これから自分はどうなるんだろうとか?この先も暗い気持ちだけが続くのかな?とか思う気持ちも自分のことばかりだなと…

 

でもどうしてもそう思うことは仕方がないとも思う。

だって本当にどうしようもなく悲しいんだもの。

 

これらの本も決してそういった感情を否定しているわけではなく、

そんな気持ちの中でもその悲しみの中だけに浸るのではなくそこに使われているエネルギーを少しでも外に向けることが確かに大切だなということに気が付かせてもらった気がします。

 

それは私にとっては次男や夫や愛犬を思いやって過ごすことだったり、たぶん他にもいろいろ見つけられるんだと思う。

 

この本を読んで私もこれから少しずつ小さな目標や課題を見つけて、パール・バックの言う絶望という名の泥沼のどん底から這い出ることを学んでいくことを心掛けていけたらなと思いました。



下町ロケットを見ていたら主人公が口の周りを粉だらけにして美味しそうに大福を食べているシーンが何度も出てくる。


食べたいけどこの国では大福は多分売ってないので自分で作ってみた。


スーパーで買えるタイの米粉でレンジで温めて作るだけでとっても簡単。

あんこは以前作って冷凍しておいたもの…


ドラマの大福のように周りに粉をたっぷりつけて、食べる時もあのシーンのように粉だらけになって食べてみました。


甘いものが大好きだった長男にもお供えした。

口の周り粉だらけにして美味しく食べてくれているかな。そうだといいな。




昨日の夜はいつもある中途覚醒がありそこからなかなか眠れなかった。

 

お薬は今のところ飲んでいないんだけれど、処方箋なしでも購入できるサプリメントを飲んでいて、これを飲むと少しは眠りが落ち着いている気がする。

それでも目が覚めるときは覚めるもので、すぐ眠りに戻れる時もあればなかなか戻れないときもあり、昨夜は後者の方だった。

 

目が覚めてしまうときは暗闇の中いろんな暗いこと、不安なこと、悲しいこと、苦しいこと、ばかり考えてしまう。フラッシュバックするときもある。

 

夜ってどうしてこうも心が不安定になるんだろう。

私は夕方日が沈み始めると途端におかしくなることがある。

 

昨日は途中であきらめて起き上がり、もう一錠サプリをとって眠くなりそうな静かな音楽聞いてみたり、kindle読んでみたり、果てはこういう時間は語句力避けている携帯を手に取ってしまったり…

 

気が付いたら何とか眠りに戻ってはいたけど、今日は完全に寝不足。

 

今日は次男のタクシーをする以外予定はないけど、運転だから気を引き締めなくちゃなんですが、信号待ちの時などぼーっと口を開けて一点を見つめている自分に気が付く…あせる

 

これでお昼寝ができればいいのにどんなに寝不足でも、時間があってもなぜか思考が邪魔をして日中眠ることができない。

 

うとうとーっとして”チャンス!”と目を閉じると目がどんどん冴えてきてしまう…

 

 

ネットを彷徨っていると眠れないのは私だけじゃないんだって自分を安心させてくれる。

 

こういう時は自分にプレッシャーかけると逆に良くないからのんびり構えるしかないのかな。


愛犬わんわんはいつでも気持ちよさそうに眠っていて羨ましいな…

今日は夫のお休みの日だったので一緒に海に行ってきた。

自然は癒しを与えてくれる。
何度か深呼吸するように意識してみた。

長男は自然が大好きだった。
小さい頃から色んなところに一緒に行ったな。

大きくなってからは釣りが大好きで友達とよく行ってた。

バンコクに旅行に行った時も「木がない…自然が多い自分の町に帰りたくなってきた」と日記に書いていた。

今日はビーチを歩きながら息子を想った。
一緒にいてくれたといいな。

あれから出来なくなったこと、やらなくなったことなどいろいろある。

 

出来なくなったこと、辛くなること、かろうじて出来るけどしんどいこと…

 

音楽が聴けなくなった

 

なに聞いても悲しく感じる

 

以前は好きだったピアノの曲はフラッシュバックが起こるのでもう聞けなくなってしまった。

 

洋楽も邦楽も悲しい気持ちになる。ラジオをかけたら不意に葬儀の時に流した曲が流れるんじゃないかと怖くてかけられなくなった。

 

本が読めなくなった

 

死別に関する本は読めるけれど、小説とか自己啓発やスピリチュアル系はほぼ読めなくなってしまった。

「悲しみとともにどう生きるか」という本には、若松英輔さんが

「自分の中で物語が書かれているときに人は読めない」と言われたと書かれてあり、

なるほどと思った。

 

仕事

 

コロナ禍で仕事があったりなかったりなんだけどいまだに職場に戻れていない。仕事自体はできる気はするのだけれど職場の人に会いたくないと思ってしまう。

 

知り合いに会いたくない

 

これ以上傷つきたくないという自己防衛反応からか、ごくごく限られた本当に信用できる人としか会いたくない

 

身だしなみを気にしなくなった

 

以前は人に見られる仕事をしていたというのもあって爪をきれいにしたり、美容室も月一で通っていたのに今ではシャワーを浴びるのも歯を磨くことさえも億劫に感じる。

 

運動をしなくなった

 

エクササイズフリークのようになんだかんだと激しい運動をしていたけど、ぱったりとやめてしまった。何度かやってみたけどまだ無理だった。

 

 

 

これに対してできるようになったことや心の助けになっていること

 

朝夕の散歩

もう何キロ歩いているんだろうと思うくらいにほぼ毎日のように歩いている。これはメンタルをできるだけ安定させていられるように必死にかろうじて続けている。

 

編み物

友人に勧められて半信半疑に始めたら思いのほか精神安定によく、今ではこれが私の精神安定剤と思っている。

イライラするときや不安感が襲ってきたときにも、おもむろに毛糸と針を手に取って一目一目に集中して編んでいると不思議と心が落ち着いてくる。

 

自然の場所に身を置く

これは今でもまだ少しハードル高いけど、でもここの所意識的にできるときにできるだけ出かけるようにし始めている。自然に身を置くとぐるぐる思考が少し解放された気になる。

 

植物を育てる

これはカウンセラーに勧められて育てているけど、効果の程はよくわからないけどいろいろ買い集めてしまって庭が植物だらけになっている…

 

愛犬と過ごす

2匹のわんちゃん達には本当に助けられている。当初は大泣きすると心配して近づいてきてくれてたけど、今では慣れちゃったようで来てくれないけど… でもそばにいてくれるだけで癒されている。

 

 

 

できなくなったことよりも出来るようになったこと、出来ていることに目を向けるようにすることが大切なんだと思うし、できていない事に罪悪感も焦りも感じていない。

でもそのうち仕事には戻らないといけなくなった時、葛藤は出てくるんだろうな。

 

この先どうなるかなんて今は先の事を考えると不安でしかないから、考えないようにしている。

 

今も、これからも、ただ目の前のことを淡々とこなしていく。

 

ただそれだけ…

 

でも2度と以前の自分には戻ることはないなと

 

そのことには悲しみを感じる…

 

 

 

グリーフには後悔と罪悪感はつきものらしい。

 

今朝散歩の時にByron Katieという講演やセルフワークについての本を出されている方のポッドキャストを何気に聞いてみた。

 

彼女の親子関係に関する講演を収録したものらしく、声からして幼い子供が

「お母さんが僕に意地悪をするのは嫌いです」

「お母さんが僕に怒鳴るのをやめてほしい」

「お父さんとお母さんがけんかしているのを見るのは嫌です」

と自身の母親に心の内を話している様子で母子の間にケイティが入って指導している様子。

 

聞いているだけでつらくなってしまってすぐに聞くのをやめた。

 

そして違うポッドキャストを聞いていたら今度は

「自分はちょっと違った子供として育ってきた。母はいつも心配していた。

そんな私の子供としての思いは『自分はダメな子』だった」

と聞いてまたまた複雑な気持ちになった。

 

息子が小さい時から私もよくいっぱいいっぱいになって感情的になったり、怒鳴ったり、たたいてしまったり、

時にはイライラして意地悪なこと言ったりしたなとその時の記憶が蘇り、辛い気持ちになった。

そんな気持ちになったって自業自得なんだって百も承知だけど、子育てで愛情もって育てたつもりなのに

長男に対しての子育てで優しく接したことよりもそんな冷たい態度の自分ばかりが想い起こされて自分が本当に嫌になる。

 

こういった罪悪感について夫に話すと

「全然そんなことない。○○はちゃんとわかっていたよ。愛情いっぱいに育てられたって」と言ってくれるんだけど

罪の意識の方が強いからまっすぐには受け止められない。

 

そして何よりつらいのは、今ではそのことを謝ることもやり直すことも出来ないこと。

 

野球をやってて全国大会の選手に選ばれ活躍したり、友達もたくさんいて学校も普通に楽しんでいると思っていたのに

突然学校も野球もやめてしまって、心配な行動が増えていった。

何度も自分を責めた。

すべて自分のせいに思えた。

 

亡くなる前の関係はいいものではなかった。

それでもクリスマスには家に帰ってきてくれるというのを信じて楽しみにしていた矢先のことだった。

亡くなった後に息子の友人から聞いた話では仕事を見つけて一生懸命に頑張っていて、

クリスマスには家に帰ることを楽しみにしていた様子だったと聞いた。

 

いつかは気が付いて正しい道を歩んで幸せに成長してくれると思っていた。

現にそちらに向き始めているころだったんだと思う。

これからだったのに…

 

将来私が子供たちに見守られながら息を引き取るときに

「完璧なお母さんじゃなくてごめんね」と謝るんだと漠然と考えていた。

 

グリーフについての本やネットの記事などを見ていると大切な人を亡くした後の遺族のメンタル状態は

亡くなる前の関係性によって複雑化することがあると読んだことがある。

 

自分のメンタルが複雑化しているのかどうかはわからないけど、今では修復不能な関係性を何度も何度も思い出しては後悔している。

 

自分は未熟だったし今でもまだまだ未熟。

 

カウンセラーからは

「ティーンの振る舞いは一緒に行動する仲間の影響が大きい」

「人間誰しも完璧じゃない」

「難しいティーンと接してカーッと感情的になるのはよくあること。あなただけじゃない」

「自分の心の中では息子のことを常にどう思っていたのか、どうなってほしいと願っていたのかを考える」

「その時の自分は最善を尽くしていたんだよ」

「あなたはとてもいい母親だよ」

 

どの言葉も支えにはなるけど肯定的に考えるまでには至らない。

しょうがないんだと思う。自分がしてしまった罪は一生背負っていくしかないんだと思う。

 

でもこれだけは言える

私も夫も長男のことを心から愛していていつもいつも必死だった。

いつでも長男のことを思っていた。心配していた。愛していた。

今でも想っている。心配している。愛している。

 

ごめんね。ごめんねとつぶやくとき息子が傍で聞いてくれていることを願っている。

 

私が息を引き取る時は息子は迎えに来てくれるか自信がないけどいつも写真に向かって

迎えに来てね

会えるの楽しみにしているよ

と語りかけている。

 

 

今朝日課の朝の散歩をしながらあの日からの自分を振り返ってみた。

あの知らせを聞いたその夜のことはまだまだ鮮明に覚えている。

 

その時からどうしていいのかわからずパニックになったり、起き上がることもできずただただ天井を見上げてぼーっと不安な気持ちになってはネットを彷徨い、同じような経験をされている方のブログを読んでは“一人じゃない”と心強く励まされました。

 

書くことは心の整理がされてとても良いとどこかで知り、それでもまだブログに書くことは無理と思い、毎日毎日自分の心の内をジャーナルにしたためていました。ただただ書くだけで読み直すことなんてつらくてできない。ただ書くことが気持ちの整理になるんだと思い、周りには言えないつらい気持ちや生々しい記憶をまっさらな紙に毎日毎日、ジャーナリングは今でも続けています。

 

それが少したって自分の周りには同じような経験をした人がいない、でもそういった人とつながりたいと思いTwitterを始めました。プロフィール欄に自分に起こったことを書くことがとてもつらかったけど、そのほうが相手にも知ってもらえると思って何とか書き、とても心暖かいい方たちとつながることができ、時には励ましの声をかけていただいたり、心の支えになっています。

 

グリーフの本もたくさん読み漁りました。ほかの本は全く読めなくなったのに不思議とグリーフに関する本だけは読めました。

海外に住んでいるので日本語の本はkindleでしか購入できないのでなかなかこれという本に巡り合えず、英語の本も何冊も読みました。本の中でも同じような経験をされている方の話にとても支えられました。

 

グリーフに関するポッドキャストもよく聞きました。支えられるものもあれば当初の記憶を思い起こすものもあったりだったけど、散歩しながら必死になって聞いていました。

 

その他にもカウンセラーに勧められたことや本の中やネットで勧められていることを色々試してみました。

 

朝夕の散歩

編み物

植物を育てる

自然の中に身を置く

 

などなど今でも必死に続けています。

 

散歩なんてあれからもう何キロ歩いたんだろう…

時にはいろいろ必死になりすぎて何やっているんだろう自分…と思うこともあるんだけど苦しいつらい気持ちが狂ってしまわないようになんとか保とうと必死なんだと思う。

 

お薬も勧められて試したけれど自分にはあわなく、怖い思いをしました。「薬には頼れないんだ,じゃどうしたらいいの私?」と思うとまた怖くなって、何とか何とか薬に頼らなくてもおかしくならないように必死になっているんだなって思う。

 

残された家族がこれ以上つらい思いをしてほしくない、次男のためにもしっかりしていなくちゃって思って何とか必死に生きている。

 

そんなこんなでこうしてブログに思いをかけるようにまではなった私。

 

これからはためになったことや支えられたことなども書いて、私と同じような思いをされている方の心の支えに少しでもなれたらいいな…とそんな思いを込めて…

 

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カメラ写真は散歩途中で見かけた青空の中に見えるパラシュート×3です。見えるかな?大声で叫んでスカイダイビング気持ちよさそう。