私の職歴①の続きを、、、


学童の仕事をしばらくした後、
経済的な安定を求めて転職活動を
始めました。
私の希望は「社会福祉」、「子ども」
関係の仕事。
でもなかなか自分に合いそうな仕事が
見つからず、段々と焦りを感じてきました。
そんなある時、、
詳しくは書けませんが、
色々な偶然が重なり、小学校の
「臨時教員免許」を取得する事になり、
新年度から小学校で学級担任を持つことに
なりました。
教員として働くことは今まで、
全く考えてきていませんでしたが、
とても興味が湧く分野でした。
この展開は私自身もびっくりでしたが、
家族や私を知る人もとても、
驚いていて、、、
こういう噂って一気に広がるもので、
周りからは
「なんで、えりんぎさんが?」
って感じの反応でした。

そして、いよいよ小学校教員として
勤務が始まりました。
ですが、
ここでもやはり、周りに適応
出来ない私が出てきてしまいました。
言われている意味が理解出来なかったり、
会議のスピードや話についていけなかった
り、新しい環境に緊張し過ぎて、
オドオド、周りからみれば変な
行動だったと思います。
こんな状態で働き、ストレスも
多くありました。
でも、
毎日大好きな子ども達と一緒に過ごせる
ことはとても幸せで。
子ども達が私に言ってくれた言葉は
私の宝物です。
子ども達がいてくれたから、
何とか出勤出来ていたのだと思います。
それでもやっぱり周りに適応出来ない
ストレスは大きく、勤め始めてすぐに
夜眠れなくなりました。
病院で眠剤を処方してもらい、
毎日飲む。
それも段々と効かなくなっていき、
また眠れない日が続く。
ストレス、眠れないことにより、
体調的にも疲れてきて、
精神的にも身体的にも限界を迎え、
1年間しか勤務出来ませんでした。

きっとここで、こんなにもストレスを
感じたのも、自分が境界知能だと
知らず働き続けたことが原因かも
しれません。

境界知能だと分かった今、思うこと。
私が「先生」として子ども達の前に
立つということは、本当は
あってはいけないことだったのでは
ないか。
私が先生で本当に良かったのか、、、
子ども達に申し訳ないという
気持ちもあります。
境界知能だとわかる前から、
自分が境界知能だと知ってからは
尚更、考えてしまいます。
ごめんなさい。こんな先生で。
自分は数年前、教員だったという、
事実を話すことにも、
罪悪感を感じる。


それでも、(本当は今でも)
また教員をやってみたいなんて思って
しまいます。

本当にあの日々は私にとって
色褪せない、綺麗な思い出になっていて。



ごめんなさい。
まとまりのない文章になってしまいました。
続きをまた今度、書きます。